やぁ~っと1巻目読み終えたー『Journey through the Text of ACIM』

2021-06-02

『Journey through the Text of ACIM』1巻目読み終えた

ワプニック先生のACIMテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』の8章7節のざっくりまとめを先日ブログに書いた。それは私にとって一区切りだった。

やぁ~~っと1巻目を読み終えたのだ!ふぅ。。

そもそもこの本を読むきっかけは2年前のゲイリー・レナードさんの来日ワークショップだった。

そこで出会った仲間と後日お茶した際この本をすでに読み進めていたMさんの提案で、一緒に読んで月1度内容をシェアすることになったのだ。思えばちょうど2年前の6月初め、どんなやり方で進めるかを話し合っていた(参考記事:2019年6月4日「ACIM勉強なかまができた~!!」)。

それから2年。

いやぁ~、一冊読むのに丸2年かかった。これはエライ頑張ってのスピードだ。

そもそもは“参加チケット”のようなもの

私にとってこの本を読むことは、仲間との会の参加チケットのようなものだった。

四の五の言えない、、ともかくやるしかないのだ (ง •̀_•́)ง!

私はACIMテキストは通読しただけでじっくり読んだことはなくワプニック先生の本にもなじみがなかった。

学生時代英語はどちらかと言えば得意なほうだったが、原書を読むのは初めて。ひどく難しく感じた。

次の会までに頑張ろうという締め切り効果と備忘録を載せるという発表効果が背中を押してくれた。

ワプニック先生の解説はテキストを身近にしてくれ、月一度仲間に会って直接話せる機会は素晴らしい刺激になった。

しかし昨年からコロナ禍やそれぞれの環境の変化もあって、じっくりシェアする時間はなくなり次第に個人プロジェクトへとシフトしていった。

気づけば、“ひとり旅”だ。山のかなたを仰ぎ見る。あそこに学習仲間のトベちゃんが歩いているはずだ。山に例えるとトベちゃんは今6~7合目(21章)あたりを歩いているだろう。。

お~い、ヤッホー\( Ö )/

正直いうと“長期ローン返済”的感覚

読み進めて少しずつ内容がわかっていく喜びはあるものの、いかんせん時間をかけすぎだ。

一読しただけでは内容が把握できずすぐ忘れてしまうため全訳している(ヘンな日本語で)。要領が悪いとは思うけれど今の自分にはしっくり来ている。

ただ私のジンセイの優先順位なんか間違ってないか、という思いは大いにある。

あと3冊。今年に入ってまだ1章分しか読めていない。速度は遅くなっている。いったい最後までたどり着けるのだろうか。。

ひどく失礼な言い草だと思うが、この本読み、すっごく正直に言うと「高い壺か指輪をローンで買ってしまってそのローンの返済をコツコツしているような気分(やっと4分の1返済できた)」なのだ。

重い…。でもやめるわけにはいかない。

誰かから強制されているわけではなく、まったく好きでやっていることだけど…。

目をキラキラさせてた!?奇跡講座と出会った頃の私

おととい学習者ではない友人と電話で話していたら、私が奇跡講座に出会ってワークブックを始めた頃の様子を話してくれた。

「たまちゃんたら、二子玉川のカフェで『人生でこれだってものとやっと出会ったの!すっごく幸せ~:*・'(*゚▽゚*)’・*:』って目をキラキラさせて言ってたよ。すごい嬉しそうだったよ。」

あぁ、そう(・・;) …だっけ!?

初心はそうだったんだ。

今はちょっぴりどんよりしているかな、その時よりは。

解説本を読んできて感じること

ワプニック先生の解説本を読んできて感じるのは、自我から聖霊への視点のシフトってシンプルだけど実践はめちゃくちゃ難しいということだ。

本書には繰り返し、自我の贖罪に対する恐れについて言及がある。

病気と死が恐く年を取りたくなく老いた母にずっと元気でいてほしいと願っている私。個の自分への執着。肉体への執着。特別な関係性への執着ー。自我と一体化している自分に気づかされるばかりだ。

本書はいわば理論書だ。水泳で言えば、泳法の本。

私は、まだ水着に着替えてプールサイドに座って足をパシャパシャさせている段階。たまに顔に水しぶきがかかるだけで固まってしまう。

それでもイエスは、「いつかはプールに入り泳げますよ。それが私たちの本性なのだから。」と手を差し伸べてくれる、そういう“泳法論”を読んでいる。

そして今思うこと

最近思うのは、「私」はいなくて目前のみんなとひとつーで、ひとり、ということ。

「私」というフィルターを通して、そのひとりを体験している…。

自我とほぼほぼ一体化している私には、この道行き恐く感じたり葛藤も大きいけれど、少なくとも「まったく聞いていない、知らないよ」ということにはならない。

少~しずつゆっくり歩き続けたい。

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