『あやうく一生懸命生きるところだった』

2021-01-18

予約本が回ってきた

正月帰省から東京に戻って調子を崩していたが、ようやく少し戻ってきた。

さて、読んだ本のレビュー。

『あやうく一生懸命生きるところだった』(文イラスト:ハ・ワン、訳:岡崎暢子)

図書館で半年以上前に予約していたものがようやく回ってきたのだ。何きっかけで予約したのかまったく思い出せない。

40歳目前で会社を辞めてしまった、韓国人イラストレーターのエッセイだ(自称「たまにイラストを描く会社員」)。

プロローグにはこうある。

「別に、何かに大志を抱いていたとか、計画があったから、まじめに勤めていた会社を辞めたわけではない。ふと我に返ったときには、すでに辞表を出した後だった。(中略)そうか、ターニングポイントだ!」

頑張って! (ハイハイ、いつも頑張っていますよ)
ベストを尽くせ! (すでにベストなんですが……)
我慢しろ! (ずっと我慢してきましたけど……)

これまでこんな言葉を、耳にタコができるくらい聞いてきた。
言われるがままに我慢しながらベストを尽くし、
一生懸命頑張ることが真理だと、みじんも疑わずにここまで来た。
そうして必死にやってきたのに、幸せになるどころか、
どんどん不幸になっている気がするのは気のせいだろうか?

そう考えたとき、後悔が襲ってきた。
いや、後悔というより悔しさだ。

あと10分我慢して登れば山頂だと言われて
ひぃひぃ登ったのに、
10分たっても頂上は現れなかった。

もう少しだよ、本当にここからあと10分だから……。
その言葉にダマされながら、40年も山を登り続けてきた。
もう、どうにかなっちゃいそう!

ここまで登ってきたついでに、もう少し登ってみることもできる。
必死に登り続ければ、何か見えてくるかもしれない。

でも、もう疲れた。気力も体力も底をついた。
チクショウ、もう限界だ。

40歳前後で人生の見え方が大きく変わる、いわゆる“中年の危機”のテーマだな、と思った。

「何もない自分は負け組だ…。

ところで、誰に負けているのだろう?」

「知らず知らずのうちに参加させられていた“レース”を棄権したような、今はそんな気分だ。

ところで気になるのは、それが何のレースだったか、まったく見当がつかないことだ。」

著者の語り口が軽妙で自虐も見えてくすっと笑えてしまうから、どんどん読めちゃう。訳がうまいのかな?著者の吹き出し付きイラストにも笑えてしまう。

いただいたチケットで映画を見た

昨日友人からもらったチケットで映画を見た。

『チャンシルさんには福が多いね』

韓国人女性監督キム・チョヒさんの作品で、こちらは『あやうく一生懸命生きるところだった』の“女性版”と言ってもよさそうだった。

映画プロデューサーとして仕事一筋にやってきた40歳の独身女性が、突如失業。「家なし、男なし、カネなし、職なし」。それでも最後は「福が多い」という歌詞のエンディング曲…。

たまたまだけど、韓国からの似たようなメッセージ、おもしろいなと思った。

2つのメッセージ

2つの作品から私が感じたメッセージのエッセンスって、何かな?

1つは、社会や自分の思い込みで作ったモノサシで自分を測って「欠けている」「足りない」と自分叩きする必要はない、ということ。

2つの作品に共通して、事実が変わっていないのだけど自分の見方が変わったために幸福感と自尊感が増している。

そしてもう1つは、韓国にも日本にもある「かんばろう信仰」への気づき(警鐘)だ。

「がんばろう」自体はもちろん悪いことじゃない。

しかし、言外に「もっと」が隠れていることが多い。

そして、それが「やみくも」になると時には危険でもある。

昔、あるお気に入りの本に、「一生懸命」と「真剣に」の違いが書いてあったのを思い出した。

そこには、「一生懸命」というのは、心理的な緊張を伴い不安と恐怖から出てくるもので、心にも体にもよい結果を生まない、一方「真剣に」は、精神とエネルギーの方向づけを意味し建設的なものだと書かれていた。

英語の本の翻訳だったが、元の単語は何だったんだろう?

これは私へのメッセージでもあるのか

ふと思った。

たまたま重なった韓国発のメッセージが「おもしろい」と思えたのは、それが私にも当てはまるからか。

これはー、私へのメッセージでもあるのか…。

私は今年60歳を迎える。

中年の転機はもうずいぶん昔に曲がったはず。何~にもなくてもへらへら生きている。

…本当にそうか。

働けていない自分、“専門”がない自分、社会の変化についていけてない自分に、ひどく劣等感、敗北感を感じているのは、私ではないのか。

今年まずコロナ太りを解消してアンチエイジングに取り組もうか、と過去のモノサシに当てはめようとしているのは、私ではないのか。

世間的に見てあまりにも頑張れていないのに、さらに「一生懸命にならない」とは…あまりにも……(・・;) だけど。

自分なりのしっくり感を

でも、感じたのは、

「自分なりで過ごす」ってことかな?

改めてだけど、自分が感じる「しっくり感」を大事にしよう(それがわからないのだが)。

去年は「考える」のほうに重心があった気がするけど、今年は「感じる」に軸足を置きたい

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