12月シェアの会

2020-12-25

今月も会えた

先日郊外の空いている穴場スポットで『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』シェアの会があった。

コロナ禍でもあり、またそれぞれの事情もあるから年内会うのは無理かな、と思っていただけに、会えた喜び、興奮は大きかった。久しぶりにゆっくりおしゃべりした。

シェアの会といっても、今は読書内容のシェアはしていない。では何をしているのかというと雑談だ。ACIMの話題ですらない。時々、ACIMの見方でいえばこういうことだよね、と話すくらい。

どうしてそんな時間を忘れて話していられるのか不思議だ。話が脱線しすぎだよな(というか最初から線に乗ってない)と思いつつ、雑談で話が尽きないってすごいな、とも思う。

ACIMという共通の見方がベースにあるからかな。

あるいは単にメンバーのバランスが良くて友だちとして気が合うのか。

それとも、友だち思いで場づくりが上手なトベちゃんのおかげかな。

ともかく私にとっては、貴重な場だ。

社会的パワーダウンはACIMあるある?

ひとりが「昔は仕事で海外にもいろいろ行ってさ」みたいな話をしていた時、別の仲間が、「わかった!」と声を上げた。「私たちみんなコースの勉強始めてから社会的にはパワーダウンしているんだ。」

ACIMの学習を始めると、それまでの価値ありと思っていたことが無価値だと示され、思考が逆流するような時期がある(私は今も)。そのため自覚できるかどうかは別として内なる葛藤が生じ、これまで外向きにアクティブに使えていた力が使いにくくなるのではないかという推論だ。

確かに一理あるかも…。

私の場合はACIMに出会う前、更年期と言われる頃からすでに疲れやすくへたっていたけれど、それでも今よりは社会性があった。

これって、コース学習者あるあるだったりするなのかな?

これに限らず話題を定めずゆる~い場だからこそ、逆に無意識が動きやすく気づくことも多い気がする。

世界が広がったのは仲間のおかげ

思えば、この貴重な仲間と出会う前、私のACIM学びの世界は、『神の使者』『不死というあなたの現実』等ゲイリー本とACIMワークブックに限られていた(テキスト、マニュアルは一読しただけ)。

それが、ゲイリーさんワークショップで出会い、そこから『Journey through the Text of A Course in Miracle』シェアの会へとつながったおかげで、世界が、ACIMテキスト、ワプニック先生解説、イエスへと広がった(前はイエスに親しみが持ててなかった、今もさほど持ててないが)。

それって今ふりかえっても画期的なことだよな~と思う。

自分の意志だけでどうにかできることじゃないから。

すごくありがたい。

JTTA本読みに関しては、来年は少し休むかペースダウンしようかなと思うけれど、できれば月一のシェアの会はずっと続いてほしい、と思う。

“12月シェアの会” への2件のフィードバック

  1. Tobbe より:

    たまさん、メリークリスマス!
    こちらこそいつも本当に勇気づけられてます☆
    今のところJTT本をなんとか挫折せずに続けられてるのも、ひとえにたまさんのお陰です。
    それだけでなく、私が凹んでる時いつも快く相談に乗ってくれてマジ感謝しかありません。。。!
    来年も、その先も、ずっと宜しくお願いします(≧∀≦)

    • タマソニア より:

      おー!トベちゃん発見(^ ^)/

      ブログ読んでくれてどうもありがとう。
      おかげさまで楽しくエキサイティングな時をすごせてます♪
      こちらこそ、来年も、その先もよろしくです(*^_^*)

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