投影とは… ユルい春子さんからのメモ

2020-10-26

投影とは

あなたは自分が投影するものを放棄するので、それが自分のものだとは信じていない。」(T-6.Ⅱ2:1) 

投影とは、防衛機制の一種で、自分にとって受け入れがたい性質や感情について、それを自身のものと認めるかわりに自分以外の他者が持っていると知覚する無意識的なメカニズムをさす(心理学的な説明)。

投影」は、奇跡講座を理解するうえで欠かせない概念だ。

いつも展開されるACIMの根っこのおはなしは確か、ざっくりこんな流れだったと思う。

私たちは忘れてしまっているが、自ら神から分離した、と思い込んだ(実際には一度も分離していない)

⇒自我(間違った心)と一体化して、自分はとんでもなく罪深いことをした、神は怒り狂って復讐に来るだろうと思い込む

⇒神からの隠れ蓑としてこの世と肉体を作りあげる(幻想)

⇒自分の罪悪感と恐怖を否認して無意識に沈める

⇒他者に投影される

この投影の引き戻しが、赦しのプロセスとなる。

この投影、なんとなくわかった気がするが、イマイチ観念的かな、と思っていた。

またまた「ユルい春子さん」登場

時々引用させてもらっている春子さんの日記に数日前、投影について実感が伴うよい説明があったのでメモしておこうと思う。

春子さん、何をやっても仕事がうまくいかないとコンサルティングを受け、「エンプティ・チェア」(空の椅子)というメソッドで自分の内面を掘り起こした。

エンプティ・チェアとは…たとえばイスをふたつ置いて、ひとつは「5才の自分のイス」、もうひとつは「お母さんのイス」とする。

自分で「5才の私です」と宣言してから「5才の自分のイス」に座り、お母さんに対して言いたいことを言ってみる。「いやだったこと」「ほしかったこと」を話してみる。

目の前にある「空のイス」(エンプティ・チェア)に向かって、まるでそこに当時のお母さんがいるかのように話しかける。

そのあと、こんどは「お母さんです」と宣言して「お母さんのイス」に座る。ふしぎなことに「お母さんのイス」に座ると、「お母さんの気もち」がなぜかスルスルと出てくる…といったようなメソッドだ。相手は親だけでなくパートナーや上司、友人など誰でもありだ。

春子さんの投影論

エンプティ・チェア・メソッドによって、心の中の母と対峙した後の春子さんの日記から。

「いろいろ判明してきた。

まず『1年365日怒っていた』のは、私の母ちゃんではなくて、『私本人』だったということ。(中略)

結局、私の内側に『私が勝手に創作した母』と、私は延々五十数年バトルしつづけてきたわけだが、これいったいなにをやってきたんだろう?

じつのところ『私が勝手に創作した母』とは『私自身の一部』なので、つまり『自分で自分を攻撃しつづけてきた』だけである。自己否定ってヤツをただやっていただけ。」

「まあ、そういうことなら、リアル母ってのはどんな人物だったのかわからずじまいだ。それは、母に限らず父もそうだし妹もそうだ。他人ひとりひとりも全員そうだ。どのひとに対しても『私という強力なフィルター』をかけて、歪曲して内側に取り入れてしまっているから、本当のところ、だれのことも『ありのままの姿』がどんなものか、私には一生わからない。

となると、『ひと』に限らず、感覚も同じことだ。聞こえている音も見えているかたちや色も、あくまでも『私には』そう聞こえたり見えたりしているだけだ。

『この世界は、すべて自分が創り上げている、とも言えるんですよ』というのは、根本裕幸さんから何度か聞いた。なるほどね、こういうことなんだね。」

長々と引用してしまったが、さらに引用を続ける。

「さっき『内側に取り入れている』と書いたけれども、それを裏返すと『自分の内面が、外側に反映されいてる』=『投影』となるので、ああはいはい、心理の勉強でいつもそこに落ち着くおなじみの『投影』は、結局こういうことだったんだね。」

とある。

この「投影」の説明が、身近でわかりやすいな~と思ったのだ。

そして、自分の仕事がうまくいかない理由について、「ふと思うには、私は『内戦』にエネルギーを使い果たしているからかもしれない。私のアタマのなかは『架空の母(じつは自分の一部)』でいっぱいだった。その母とドンパチやることしか考えていなかったので、ついに『仕事がなんなのか?』ちゃんと向き合う余裕がなかったのだ。」と書かれている。

奇跡講座を知らずとも

春子さんの仕事がうまくいかない(と自分では思っている)理由の正否はわからないけれど、「自分のフィルターをかけて外の世界を見ている」=「裏返すと、自分の内面が、外側に反映されている」=「投影」、というのは、ストンと理解できた。

春子さんがすごいなと思うのは、奇跡講座には出会うことなく、でも自分を掘り下げるなかで必要に迫られ似たような過程に至っており、頭でACIMを理解しようとしている私なんかよりずっと余計な観念を手放して真の自分に近づいているように思える点だ。

「畳の上で水練」タイプの私は大いに刺激を受けている。

投影は常に自分の願望を他人の中に見る。」(T-.7Ⅶ.9:4) 

これは今日読んで気になったところ。

投影のメカニズムからいうと、春子さんも私の内面の一部だな。

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