2020-10-03
秋風
職業能力開発センターのとある講座の選考試験は「補欠合格」だった。補欠者が出て繰り上げになれば、指定した日時に電話をくださるという。受け身で待つ状態だ。
受ける以上は受かりたいと鼻息を荒くして“求められる受講者像”になろうと努めてきたが、思いがけず生じたペンディング状態に心が揺れている。
これは本当にやりたいことなのかー。
何も決めないための先延ばし、気休めの類に過ぎないのではないか。やりたくないわけではないけど本質的なこととは思えない。漠然と感じてはいたことが無視しづらくなっている。
それにハッと気づいたのは、面接の前日、春子さんのブログの記事を見たときだった。
春子さんのことはこのブログでも何度か書いている。私の同年代で生い立ちが厳しくブログを始めた当初はひきこもり状態だった。しかし自己探索を続け昨年4月に“覚醒”、幼い頃止めさせられたピアノこそが自分のライフワークと44年ぶりに先生に付いてレッスンを再開。某芸術大学のピアノ学科を目指して日々練習に励んでいる。今年はカウンセラー養成講座も受けている。
その春子さん、去年末パートをクビになった。仕事があまりにも覚えられず認知症を疑われたのだ(認知症の疑いで病院で診察するも知能指数140超と判明して治療ナシ)。その次のパート先も失敗ばかりで周りに迷惑をかけ通しで手詰まりになっている。
そこで、春子さん、最近仕事についてコンサルティングを受けた。
そのコンサルティング過程を数日にわたってブログに書いている。それが私の心に響いている。
春子さんのブログ(9月23日)からー
「『仕事』が問題じゃなかった。『人』と関わることを避けているから仕事がうまくいかないのだった。これもやっぱり『傷つきたくない』からだった。もうさ、私って『傷つきたくない』一心でもがきつづけている。」
私も同じかも…。春子さんはまだ働いているけど私は隠遁している…
ブログはこう続く。
「それってどんな人生なん?
傷つきたくないからずーっと逃げつづける人生ってなに?
そんなに『この世』は怖ろしいとこなん?
いや、そうじゃない。
『音楽』は、そんなことを伝えていない。
『音楽』は、この世に生を受けることが、どれほど輝かしく、稀有で、慈愛に満ちたものなのかを教えてくれる。
それが真実。」
「その真実を伝えるひとになりましょう」
こういう春子さんに対して、コンサルタントはこう言う。
「その真実を伝えるひとになりましょう。春子ちゃん、ピアノでお金を稼ぐのよ。ひとと関わってお金をいただけるようになりましょう」
…この言葉に、グサッと来た。
ピアノでお金を稼ぐー?
素人の私が春子さんのピアノのレベルはわからないが、やっている教材から推し量ると中級くらいか。
本人はそんなこと考えてみたこともないようだった。
9月25日のブログには、働くのが嫌いで怠け者だという春子さんに対し、コンサルタントはそういう人こそラクにできることで稼ぐ道を考える必要があると言ったことが綴られている。
「ラクにというのは『自然体』ということね。春子ちゃんが自然にラクにできることね。つまり『好きなことを、いかに楽に自然体でやって稼ぐか?』これがね、春子ちゃんのミッションなんですよ」
「ひとと対等に関わるからこそお金をいただけるんですよ。関わりを閉じているとお金は来ません。そしたら、いままでのようにイヤなことをガマンして『がまん料のお金』しかもらえないんです。
そんな『がまん料のお金』ではなくて、『ありがとうのお金』をもらうためには、まず『自分がひとに差し上げる』ということをするんですよ。他者貢献なんです」と。
「がまん料のお金」「ありがとうのお金」…
もう、同年代が人生すごろくの後半を生きているのに「何を今さら」の話だ。青臭い。だけど、引っかかった。
私がこれから学ぼうとしているスキルは、自分にとってどっちのお金を目指すものなのか。
本当にやりたいことからの逃げではないのかー。気づけば私はいっつも逃げている。