2020-08-14
母の手づくりマスク
故郷のとやまにお盆帰省した。コロナ禍で自粛が叫ばれるなかひっそり帰ったつもりだったが、のっけからお隣のおじさん(今ではおじいさん)に会ってしまい「お、帰ってきたん、大丈夫?」と声をかけられた。私はマスクの下で「大丈夫」と首を縦に振った。
家に上がるやいなや母は「マスク、もう着ない服で手づくりしたん」と見せてきた。自分用かな、と思ったら、私の分だった。
母はこの夏、帯状疱疹になってしまい病院通いをしている。
私は手づくりマスクに目をやりつつ「これを作ろうと思えるくらいには回復したのかな?」と、母の心身の状態を推し量る。
マスクはミルクティ色のレース地にガーゼの裏地が付いていて涼しげだった。
「型紙はどうしたん?」と私。
「新聞に載っとった。耳のゴムは破れたストッキングにしたん。」と母。
さすがお母さん、もったいない意識が高い。マスクはぴったりだった。
その後いつものように、マシンガントークが始まった。内容は親戚、近所のうわさ話と「あれ、何て名前やったけ?」的質問。うわさ話といっても8割方は私の知らない人のことだ。
1時間も聞くうちに、もう“東京の自分”は遠くなった。
お墓参り
昨夕はお墓詣りに行った。
今朝はお寺さんから和尚さんが見えてご先祖様にお経をあげてくださった。
今日はこれから仏舎利塔にお参りに行く。
故郷というのは“東京の自分”が遠くなるとともに、ACIMで学んだことも一緒に遠くなる。
一方で、自分が心の奥に埋め込んだ罪悪感、恐怖感、後悔、不安などが刺激されて表面化しやすく、赦しの機会には事欠かない。
昨夕のお墓参り、無縁仏らしいお墓が雑草だらけになっているのを見て母が、
「私、やがてうちの墓もああなってしまうがじゃないかって、すっごく心配なん。」と言った。
うちのお墓は何代か前のご先祖様が気張ったのか無駄にでかい。
「私がいる間は気をつけるけど…」と私は心の中でつぶやく。だけど、その先なんてわからない。仕方ない。家の跡を継げずに、私の代で家を絶やしてしまうことも、ずっと私の「罪悪感」のひとつではある。
しかしー。
変化が著しく激しい昨今。豪雨で一夜にして家を失い未だ避難生活を続けている方も大勢おられるだろう。今日、熱中症になってしまった方だっているはずだ。
「将来の・お墓の心配ができる」ってことはむしろ幸せなことなのかも、、と思った。
母はこの1年くらいでぐっと歩行が悪くなった。
それもさみしいことだけど、それより、この瞬間元気でおしゃべりしてくれていること、今夜も一緒にお墓参りできることがうれしい。
いわゆる「特別な関係」なのだろう。それでもやっぱり今の私にとってはかけがえのないものだ。