2020-07-24
私たちが感謝である
「そしてもし私が、自分を助けてくれる言葉を必要とするなら、聖霊がそれを与えてくれるだろう。もし何らかの考えが必要なら、それも聖霊が与えてくれるだろう。」(W-pⅡ.361:1.1-2)
6月ちょこっと故郷に帰省してから内なる最悪感が恐れが浮かび上がり、その後何で奇跡講座をやっているのかはっきり思い出せないままレッスン365になってしまった。
まぁ、それもいいか。
本来であれば、今日はたしか東京オリンピックの開会式だった。半年くらい前までは。
「想定外」は通用しない、起こりうるのだと学んで久しいけど、「想定外」…上回ってくるな。
『神の使者』シリーズではアサンディッド・マスター、アーテンとパーサがよく「世界はどんなぐあい?」とゲイリーに聞いていたけど、世界は…新型コロナウイルスがさらに勢いを増してかなり痛々しい状況だ。
ただそれをどう見るかは、こちらに委ねられる。
この世のレベルで見ても、警戒すべきなのかあるいはアジア諸国ではファクターxがあってあまり気にかける必要がないのかわからない。
今日ワークしていて感じたのは、まったく話が違うことなのだけど、「感謝」は実は動詞じゃない(感謝は「する」ことではないんだな)ということだった。
もちろん感謝することは尊いことだ。だけど、感謝は形容詞というか名詞というか、神の子すわなち私たちそのものが感謝なんだ…。
そう感じた。
私は『奇跡講座』を関心を持ってやっているみたいだけど、残念なことに…というべきか、私はこの講座を極めたいとは思っておらず、これはこの地でより幸せに生きる道具に過ぎず、この地でささやかなことに一喜一憂しながら生きることに関心があるみたい。
書いていて自分でも何を書いているかわかってないけど。
とりあえず先は想定できないので、なんとなく感じたとおり進む。
今日でワークブックのブログいったん終了♪と思ったら「エピローグ」があった (^-^;