2020-07-15
聖霊さん、あなたが主導してください
「そしてもし私が、自分を助けてくれる言葉を必要とするなら、聖霊がそれを与えてくれるだろう。もし何らかの考えが必要なら、それも聖霊が与えてくれるだろう。」(W-pⅡ.361:1.1-2)
レッスン361~365(最終課題)は同じ一つのレッスンを繰り返す。
最終的に、ワークブックの導きからただ聖霊の導きへ身を任せるよう促されている。
私はワークをしていて、ふっと何かを思ったり感じたりすることはあるけど、ワークを終えた時点ではそれが何だったか忘れていることも多い。
未だに聖霊の声が聞けているか、導きに添えているかよくわからない。
よく感じるのは、自分がダメだと思っているわりには聖霊のほうは常に優しく、「あなたはよくやっていますよ」と言ってくれていることだ。
もちろん気のせいかもしれない。
あの時も聖霊は囁いていたのかな
いっちばん最初ACIMの本を手に取ったのは、白金台のブックオフだった(2013年10月閉店)…と思う。
家から近いわけではなかったがカフェ併設店でおしゃれな洋書も多く時々レジャー気分で掘り出し物を探しに行っていたのだ。
ある時、棚に『奇跡の…』という分厚い本が目に入って手に取った。100円?200円?忘れたけど安かった。
数行読んだ。
…そっと棚に戻した。
何だこれ、不思議な本だ。私には読めないや。
後々『神の使者』に出会い奇跡講座を勉強し出してから、あの本は、大内博訳『奇跡のコース』だったな~と気づいた。
物覚えが悪く過去のことは覚えていないほうだけど、その本を手に取って、ダメだ、私読めない、と思って棚に戻したシーンは覚えている。
あの時、聖霊さんは、その本、手に取ってみて!と精いっぱい囁いてくれてたのかな?…と思ったりする。(そして「ダメだ」と私が棚に戻した時、やっぱりか、と肩を落としたのか)。
私は聖霊さんの求める難度とスピードについていけず、ちょいちょいというかほどんど「できないものはできない」と我を通すのだけど、聖霊さんは手を変え品を変えハードルを少し低くしてゆっくりめのカリキュラムにして忍耐強く導いてくれている(ような気がする)。
ワークブック終えられるの嬉しいけれど、終わっちゃったら、またACIMを離れてわからなくなっちゃいそうだな。
聖霊さんはすでに次のカリキュラムを用意してくれているのか。。。
これからどうなるのか。。。
もっとちゃんと声が聞けるようになればいいけど、耳をふさいでいるのは私なんだよね。。。