ACIMワークブック352-裁きと愛は正反対のものである。一方からは世界の悲しみのすべてが生じる。もう一方からは、神ご自身の平安が訪れる。

 

2020-05-29

愛の道を選ぶことで私は贖われる

赦しは無罪性だけに目を向け、裁くことはしません。」(W-pⅡ.352:1.1)

裁きは私の目を眩ませ、盲目にします。しかし、この世界では赦しに反映されている愛が、あなたの平安を再び見出す道をあなたが私に与えてくださっていることを、私に思い出させます。この道をたどることを選ぶとき、私は贖われます。」(W-pⅡ.352:1.3-5)

自分自身のアイデンティティーを愛し、その中にあなたについての記憶を見出したいのです。」(W-pⅡ.352:1.9)

病状でっちあげという「心のパワー」

クリニックに検査結果を聞きにいったら、「ぼうこう炎の原因となる菌は見られなかった」とのこと。

もしかしたら、すでに直っていたのかもしれない。あるいはまったく何でもなかったのに私が不安感から病状をでっちあげたのかもしれない。後者のほうが可能性が高そうだ。

コロナによる緊急事態宣言はほぼすべての人に緊張感やストレスによる疲労をもたらしたと思うけど、それぞれみんな自分の脆弱な部分にかたちとして現れるのかもしれなかった。

「コロナ離婚」なんていう言葉も聞くけれど、もともとお互いパートナーに不満の素地があったのが今回の騒動で露になったのだ。

私の場合は、普段ひとり暮らしが気楽でいいと言いながら、長引く自粛でカルチャーセンターや英会話クラス、ワークショップなどの緩い関わりもまるっきりなくなり、本当にひとりっきりで接触なく過ごしていた。それはそれで不都合を感じていたわけではなかったが、やっぱり孤独感、不安感はあった。それは自分で思っていたより大きかったらしい。

そしてそれが、ありもしない病状をでっち上げたらしかった。それこそが病気だ。(逆に言うと、私、わりかし“まとも”?)

トイレが詰まった、タイヘン、と言っていた夜、病状がきつくて朝までほとんど眠れなかった。

あのリアルさ!あれはいったい何だったんだろう。

この世でプラスにもマイナスにも振れる「心のパワー」というものを垣間見た気がした。

「ばい菌はいなかったのですから、トイレを我慢する訓練をしましょうね」と先生。前に処方していただいた「清心蓮子飲」とともにぼうこうの緊張を緩めるという新しい薬を処方していただいた。

「二週間後と一ヶ月後、どっちがいい?」と言われ、「一ヶ月後」と答えたら、調剤薬局で処方された薬の袋の大きさにびっくり。

調剤薬局で薬剤師さんに「この前の薬(清心蓮子飲)、飲まれてどう感じられましたか。率直な感じ?」と聞かれたので、「優しくていいです。好きです。」と答えたら、漢方薬と飲み手との間にも“相性”があるらしく、「今、おっしゃったのがそのまま相性ですよ。」と答えてくださった。

「清心蓮子飲」と私は相性がいいらしい。

不思議なんだけど、このお薬には「慈愛」の「慈」という漢字を感じる。頑張っていたものが解れていく感じだ。

ありがたい魔術だ。

自分でさほど意識できていなかったけれど、不調があって自分が“自我・絶賛お勧め中”の「不安、恐怖」をセレクトしていることに気づいた。

ワークブックも終盤に来ているけれど、まだまだ自我の視点から抜け出せていないことに気づく。

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