2020-05-07
くさちゃんが後押ししてくれて
ACIMに関する情報を自分から取りにいくことがなかった私が、たまたま昨年3月ゲイリーさんの東京ワークショップを見つけた。
お~っ(〃゚ o ゚〃) 、となってブログに「『神の使者』 著者のゲイリー・R・レナードさん4月来日!?」という記事を書いたら、このニッチブログに初めてコメントをくれたくさちゃんが再びコメントをくれて、ご自身がゲイリーさんのワークショップに参加なさった記事を紹介しつつ、「行ってこられたらいいんじゃないですか?」「めったにお会いできない人ですよ~。」と背中を押してくれた。
先日再びくさちゃんのブログ上でやりとりした際、「僕は、タマソニアさんとトベさんがお会いしたらいいのにな~、と思っていたのですが、うまいことお会いすることになっていたようですね。」とコメントくださった。
へっ、そこまで想像して!?…くさちゃん恐るべし、と思った。
会って2回目も驚く
で、その登場シーンにもびっくりしたトベちゃん(参考記事:「今年最もびっくりした瞬間」)、その後も驚くことがしばしば。
母国語並み(以上!?)の英語力、高いITスキル、ACIM学習に対する真摯さ、勤勉な性格、社交性、段取り力、どれをとってもすごいな~と尊敬している。
「トベちゃん、私のブログにまた登場してもらってもい~い?」と聞いたところ、二つ返事でOKしてくれたが、その後なかなか書けなかった。なんか分離を前提としての批評(judgement)だよなと思って。
でも、私のほうが今世ニンゲンとしてのキャリアが長いということで失礼を許してもらって書いちゃおう。
2回目に会話したワークショップ後のお茶当日も驚いた。
なんで、私のことをよく知っているの?…と。
何のことはない、ブログを読んでくれていたからだ(インターネットが世に出回ったのは大人になってからでSNSもしないので、ネットに自己情報を晒しているという意識が低い)。
当日驚いたのはそれだけじゃない、自己紹介でこれまでの自分のライフイベント的なこと(元パートナーさんとの関係に関わることなど)を話してくれたのだけど、ピンポイントで心のひだひだが私と似通っていて、心の中で思わず「私か!?」とツッコみを入れた。
そして並々ならぬ縁があるらしいと感じた。
「私」が残された会話
トベちゃんとはその後二人だけでランチやお茶する機会もあった。その時も不思議な感覚をもった。
レスポンスが良すぎる…のだ。
うまく表現できないのだけど、二人で会話しているのに、「私」が置いてかれているような瞬間が何度かあった。
「たまさんは〇〇だしね。△△でしょ、だから~」みたいな感じで進んでいく時。
ん?
ひとりになった帰りの電車で反芻してみる。
私、そうだっけ?
ん~、確かに。
かも…
これはー?
ブログを見てくれているから?
私と似たとこあるから?
いやいやそうじゃないー
あとで気づいたけど、トベちゃんはどうやら途中から、私の無意識(と意識の端境くらい)とコミュニケーションしていたようだった。
私自身がまだ意識化できていないところ…。だから二人で話しているのに、「私」が付いていけてなかったのだ。
これって、直感なのかな?
無意識を読んでいるー、おそらく。
しかも無意識に。
ユングのタイプ論から探る、才能の軸足
私が通っているカルチャー講座、ユングの分析心理学には「タイプ論」というのがある。
ニンゲンの主な機能を、「思考」「感情」「感覚」「直感」に分け(実際にはこれに、「外向」「内向」があってその組み合わせで分けられる)、思考⇔感情がひとつの軸、感覚⇔直感がひとつの軸。
得手、不得手というか傾向があって、図のように「思考」が意識化されていると「感情」は使うのはやや不得手という。
こんな分析にあてはめると失礼だけど、トベちゃんが絵がうんとうまいから、自分では「感覚」タイプと思っているのではないかな?(聞いたことはない)。
でも、お話していて、才能あまたあれどトベちゃんの才能の軸足って「直感」じゃないかな?と思った。。
無意識の世界と通じたサニワっぽい能力があるのでは…(ざっくり言うとサイキック)
ただ、それは十分意識化されておらず、コントロールというか意識が緩まっているときこそ発揮されているんじゃあ、、これが意識化されて自在に使えるようになったらすごいんじゃあ、、、?
…と勝手な推察。
もしかしたら、ACIMというのは(一見ありえない前提を受け入れたあとは)論理的、かつ聖霊に導かれて出会っているのかもしれないから、ACIM学習者は「思考」+「直感」に強い方が多いのかしらん?
思ったまんまひとりごと書いてしまった。
なんか好き勝手なこと書いてるねえ。。。(ごめんよぉ、トベちゃん)