2020-04-28
何かを失うということはありえない
「苦しみの終わりが損失であるはずがありません。存在するすべてという贈り物は、利益以外の何物でもありません。」(W-pⅡ.343:1.1-2)
「私はあなたの子であるがゆえに、完全なものです。私が何かを失うということはありえません。私には与えることができるだけであり、存在するすべては永遠に私のものだからです。」(W-pⅡ.343:1.10-11)
「神の慈悲と平安は無償である。救済に対価はない。それはふんだんに与えられ、受け取られるべき贈り物である。今日私たちが学ぶのはこのことである。」(W-pⅡ.343:2.1-4)
とおい記憶に残る美しいひと
まだ自我と一体化している私には、レッスン343で言及されている感覚は頭ではそうかと思うけれど、実感としてはよくわからない。それよりコロナウイルスという“見えない敵と戦っている世界”のほうが圧倒的にリアルだ。
コロナ関連のニュースはあまり見ないようにしているけど、それでもつい気にしてしまう。昨日東京の感染者数が39名と減少してほっとしたのもつかの間今日はまた100名を超えた。収束に向かい始めたわけではなかった。
先週木曜日、女優の岡江久美子さんがコロナウイルス性感染症で亡くなったとのニュースが日本を駆けめぐった。
母との電話でも話に出て母は涙ぐむような様子だったが、私は初めっからイメージのなかの人だから「亡くなった」と知ってもなんかぴんと来なかった。「はなまるマーケット」とかは見てなかったからかな。
岡江久美子さんの名前を聞いて思い浮かんだのは、大昔見たテレビドラマでの圧倒的な美しさだった。
タイトルも内容もまったく覚えていない。
若くてあまりに美しくて、それが「岡江久美子」という女優さんで。それだけが印象に残っているのだ。
私はそれを高校3年の受験で父と東京に来ていたビジネスホテルでひとり昼すぎに見たと思っているのだけど、記憶ちがいかもしれない。
…と急に、それが何というドラマだったか気になってきた。
たしかNHKの「銀河テレビ小説」という枠だった。
「岡江久美子 銀河テレビ小説 NHK」と入れて検索してみたら、Twitterのつぶやきが出てきた。
岡江久美子のドラマの最高傑作は NHKドラマ(銀河テレビ小説?)の「友情」だった。寺尾聰と荻島真一の三角関係の切ないドラマだった。
— プログレス (@t2_sov31b) April 23, 2020
NHKには彼女の追悼番組として是非とも再放送して欲しい。#岡江久美子さん
「友情」、、、たぶんこれだ。調べたら武者小路実篤の小説のドラマ化だった。
放送日は、1977年12月5日~ 12月23日となっている。再放送を見たのか、それとも見た時を勘違いしているのか。
私と同じようにこのドラマのことを思い出した人がいたとは…。そしてつぶやいてくれたおかげでこれだとわかった。
1956年の夏生まれの岡江さんが20歳か、21歳になったばかりの頃撮影されたことになる。調べたらデビューは1975年らしいから、デビュー3年目のドラマだった。
とにかく「なんて美しいひとだ…」と思い、その人が「岡江久美子」という名だということだけ覚えた。
まだ10代だった私が、秘めるからこそこぼれ出る色香…白い牡丹みたいな、日本女性の美の極みだ、と思って見入っていたことだけよく覚えている(ヘンかな)。
みんなのイメージに残っている親しみやすく元気なお母さんみたいな岡江さんも素敵だ。
ただ、私にはあのドラマの印象があまりに強くてそこで固まっていたのだった。。。
その美しさってどんなものだったのかな。どこに惹きつけられたんだろう。
私ももう一回見てみたい。どんな印象を持つか。
この世に生きているかぎり、私のスクリーンに映り知覚でイメージしたものにやっぱり引っ張られそうだ。
本当はワプニック先生のテキスト解説本の続きが書きたかったけれど要約がむずかしく今日はやめにしてワークブックのことを書くことにした。気づけば岡江さんのことになっていた。
お悔やみ申し上げます。