2020-04-24
『Journey through the Text of ACIM』-わが“旅”のようす
ワプニック先生のテキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』の“私の旅”は、4章の前半をゆっくり巡っている。この旅のいいところは、自宅にいながらできるところだ。すべての内的な旅はそうだけど。
レベルアップして英語でそのまんま読めるようになりたいと思っていたけど、結局今も和訳している。
理由は、英文のままでは(書かれている内容をすぐ忘れてしまうので)意味が取れず、メモとして訳を書いてしまうということがひとつ。
もう一つは、去年3回コースの「翻訳講座」を受けたとき、私が「ある英語の本を今読んでいるんだけど訳しちゃっていて、、早く英文に慣れて原文のままで読めるようになりたい」と話したら、先生が小声でぼそっと「そのまま訳せばいいのに」とおっしゃったことだ。それが、すっとお腹に入ってきたのだ。
前は、日本語として読みやすく、と工夫していたけど、今はわかりさえすればいいと、変な日本語を書き連ねながら進めている。
パッと原文を見ただけで意味が入ってくるようになったら訳す必要もなくなるんだろう。それがいつかはまだ不明だ。
4章の概要
さて、4章「The Illusions of the Ego(自我の幻想)」は章立て(節立て)でいうと、
4-0 Introduction(序論)
4-1 The Atonement Principle(贖罪の原理)
4-2 The Ego’s Fear of the Atonement Principle( 贖罪の原理に対する自我の恐れ)
4-3 Jesus(イエス)
このうち3節のイエスが最も長く本章の半分以上のページ数が割かれている。今回(次回のオンライン・シェアの会までに)は4-2までを見ることにした。
Introduction(序論)
Introductionには、4章は主にACIMにおける「2つの主要なキャラクター」のひとつ、「自我」を取り上げているという点で特筆すべきだと書かれていた。
自我についてはテキスト全体を通して語られているが、4章が「自我と自我の思考システムの概論」として位置づけられる。そして5章はもう一方の主要キャラクター、「聖霊」についてだ。
この導入部でワプニック先生は、「ライトモチーフ(Leitmotiv)」というものについて言及なさっている。
日本語訳では「示導動機」(なんじゃ?)。ワーグナーの後期の楽劇のなかで確立されたもので、特定のイメージと結びつけられたメロディを構成する最小単位らしい。
私は初めて聞く言葉だけど、ある場面で誰かが登場するときに決まってそのフレーズが流れたりするやつ、と言ったらイメージしやすいのかな。作品の中で繰り返し用いることで、人物や感情、場面、時代など聴いている人のイメージを誘導する働きがあるらしい。
「わかりやすい例」を探したら、魔法をイメージさせるものとして「ハリーポッター」シリーズの「ヘドウィグのテーマ」が出てきた。
これは前置きで、序章は「私たちはすでにコースの教えのベースとなる2つの固有のライトモチーフを見てきました」と続く。
それが4-1で説明される「the Atonement principle: the separation never happened.(贖罪の原理:分離は一度も起こらなかった)」。(確認してみたら、テキストでは「the separation never occurred.(分離は一度も起こらなかった)」(T-6.Ⅱ.10-7)となっていた。)
もう一つは4-2で説明される「The Ego’s Fear of the Atonement Principle( 贖罪の原理に対する自我の恐れ)」だという。(これは序章では触れられておらず4-2で「2つめのモチーフ」として登場する)。
そして、次節で、贖罪の原理についてイエスがどれだけ手を変え品を変え、いろいろな伝え方で私たちに伝えようとしているかを見ていくとされている。
「これはワーグナーが音楽で行ったこと、つまり主テーマを堅持しつつ(細やかに)音色を変えて伝えるということと同じです」と説明されている。
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自粛生活が続くなか、最近、どうぶつ番組が目につく。
どうぶつに癒されるのは、邪気がないからかな?
家にペットさんがいるといいなぁ。
でっかいねこ。