2020-04-16
今日という日を喜びなさい
「父よ、今日という日に感謝し、この日が必ずもたらしてくれる自由のゆえに、あなたに感謝します。今日は、あなたの子が贖われる神聖な日です。」(W-pⅡ.340:1.1-2)
「彼の苦しみは終わりました。彼は、赦しを通してキリストの心眼を見出し、あやゆる苦しみから永遠に解放されるよう導くあなたの声を聞くからです。」(W-pⅡ.340:1.3-4)
「今日という日を喜びなさい!喜びなさい!今日は、歓喜と感謝以外に何も存在する余地はない。」(W-pⅡ.340:2.1-3)
「お好きなほうをどうぞ」
どのレッスンも関連しているけれど、レッスン338「私は自分の考えのみに影響される。」、339「私は自分が要求するものを受け取ることになる。」と、今日のレッスン340「今日、私は苦しみから自由になれる。」もことに関連しているな~と感じる。
そもそも無意識だから自分では気づいていないけれど、自分の考えを世界というスクリーンに映しているのだった。
究極的には二択の。
☆自我コース…分離から生じた、罪、罪悪感、恐怖を映します。苦しみ、痛み、復讐、欠乏、嫉妬、怒り、裏切り、処刑、執着…バリエーションはいろいろあるよ。
☆聖霊コース…言葉ではあらわせないけど、完全で、抽象で、変わることなく、無垢で、豊かで、満たされていて、全一で、喜び、愛、慈しみ…そういうすべて…につながります。
「お好きなほうをどうぞ」
これなんだな。
おいしそうなチョコレートデザートを差し出され「お好きなのをどうぞ」って言われているのと変わらないのだ。
無意識だから自分では選んだことをとうに忘れているし、何か降りかかるとすぐに感情的に揺さぶられてわからなくなってしまうけれど。
今もすごい怖い。
何が?って、この先生きていくのが。。
だけど、究極的には二択。
今の私からは全体像は見えないけれど、心を鎮め耳を傾けて、ひとつずつ目の前のチョイスから好きなやつを選んでいけばいい。
苦しみや罪悪感を選ぶのも自由だけど、幸せや豊かさ、喜び、感謝を選ぶのも自由。
差し出されて、にっこり、
「お好きなほうをどうぞ」なのだ。