2020-03-26
葛藤はありません…
「父よ、あなたの子が自分で自分を苦しめることができると信じるのは、何と愚かなことでしょう。彼が自分を破滅させる計画を作ったとしても、そこから解放される確かな道も与えられずに放っておかれたりするでしょうか。」(W-pⅡ.331:1.1-2)
「愛が愛自身から去ってしまうなどということが、考えられるでしょうか。愛の意志のほかに意志はありません。
恐れは夢であり、恐れにはあなたの意志と葛藤できるような意志はありません。」(W-pⅡ.331:1.5-7)
「今日、神の平安を見出すことができるように、赦しが見せてくれる神聖な光景を眺めよう。アーメン。」(W-pⅡ.331:2.2)
いやいや葛藤のさなか (・・;)
昨日は友人と1000円ランチ&お花見スポットを散歩。その後、ひとりてくてく税務署まで歩き、やっと確定申告を終えた。控えに税務署のハンコが欲しくて例年直接提出するが、この手のことが大の苦手でいつも先延ばししてぎりぎりになってしまう。
お花見スポット、、満開にはあと一歩だったが、子どもたちの遊ぶ声が響き人々の表情も穏やかだった。
ああ、春だな、今年も桜が見られた、と“確認”した。
晩、うたた寝してしまっていたら母から電話。
「小池さん(都知事)の会見見た?」と。
ううん、見てない。
「『東京、感染爆発の重大局面だ』って言ってたよ。気を付けなさい。週末家から出るなって。東京封鎖するかも、って言っとったよ」
そ~なんだ。
春だ、伸びていきたいという生物としての自然の欲求と、今こそ引き締めなちゃという良識がせめぎあい、アクセルとブレーキを一緒に踏むような気分だ。
このコロナウイルス、目に見えず正体もわからないがために対応がしづらく不安がさらに強まり、物理的にも心情的にも、文字通り人々を「分離」させていると思う。
これが実は「原因」ではなく「結果」(分離をリアルにする自我視点が原因、コロナ脅威が結果)だとは、信じがたい。
令和二年のお正月にはまさかこんな事態になるとは思わなかった。
「ありえない」ことがどんどん起こっている。非常時だ。
こういう時こそ、一拍置いて「赦しが見せてくれる神聖な光景を眺める」意志を思いだすことが大事だと言い聞かせている。