2020-03-07
試してみさえすれば体験が得られる
「私は何の裏づけもない盲信を土台に、救済を受け入れるよう求められているのではない。神は、私の呼びかけを聞き、ご自身で答えると約束された。
これが本当であることを、体験から学ぶことにしよう。」(W-pⅡ.327:1.1-3)
「父よ、私が試してみさえすれば、あなたの約束は決して破られないという体験が得られることに、感謝します。」(W-pⅡ.327:2.1)
私はどれくらい「試せて」いるだろうか。
まったくわからない。
老先生の人生集大成事業
先日久しぶりに、30年前売れっ子経営コンサルタントだった老先生にお目にかかった。今年の3月で90歳、ひとり暮らし。年齢を感じさせず眼光も鋭くかくしゃくとしておられる。
長年、病院や施設に入院入所なさっていた奥様の元に通い骨を惜しまずなさってこられた。その奥様も一昨年亡くなられた。
その先生、「テロメアが細胞分裂によって短くなると老化が進みある限界値まで達すると細胞は分裂不可能になり死に至る」というテロメア寿命説を語り、自分のテロメアはもう限界値近い(なんでわかるんだろ?)から、人生の総まとめの本を書いているという(出版予定なし)。
私は思わず「死は怖くないんですか」と伺った。
「90歳にもなれば怖くない」とおっしゃる。
超越するのだろうか。
先生は自分の頭で考えたことをはっきり言い切る。いつも人生、その時点での真っ向勝負。
間違っているかも?他の人がどう思うかな?なんてのは、構わない。
自分の今の時点での精いっぱいのありのままなのだから、と。
そういう「言い切る力」を持っているからか著書が40冊くらいあってよく読まれた。Amazonで中古本として今も高値で売買されているものもある。
今回の人生の集大成となる本のタイトルは「たった一度の生涯」。
いいタイトルだな~と思った。
私は、つい「来世で頑張ろうかな」と思ったり、「ACIMはこの世を幻想だって言ってるし…」と、逃げ腰だ。
与えられたものに感謝しながら、都度人生の出来事と真摯に関わり合い自分のまことの精いっぱいでやってこられたからこそ、「テロメアがもう限界…」と話しながらも爽やかささえ感じさせるのかもしれない、と思った。
そして、私なんかよりむしろずっとACIM的なのでは?と感じた。
この世の幻想性を前提としながらも、この世でしっかり生きる。
その塩梅を掴みたい。