2020-02-12
私の自由は神の中にある
「何が私を自由にするのか、何が私の自由であるのか、それを見つけるためにどこを探せばよいのか、私は理解していませんでした。」(W-pⅡ.321:1.1)
「もうこれ以上自分で自分を導きたくありません。自由が見つかる道を作り出すことも、理解することもできなかったからです。」(W-pⅡ.321:1.3-4)
「父よ、私の自由はただあなたの中にのみ存在します。父よ、あなたのもとへ帰ることが私の意志です。」(W-pⅡ.321:1.8-9)
色えんぴつ画ー絵というより製図の私
ワークブックのブログ久しぶりだ。一週間に2つくらいのペースでワークをしている。これくらいのペースが自分にしっくりくるみたい。
昨日は色えんぴつ画講座だった。1月お休みだったから、2ヶ月ぶり。
前々日やっと題材を決めて下絵を描き始めた。選んだのは、自分で撮った東京の朝の風景。ざっくりいうとスカイツリーだ。
つくづく“絵が描けない”といやになってしまった。
…というのは、どうも「自由に」線を引くことができず、横に置いた写真から方眼線入りの三角定規で、スカイツリーのてっぺんとか主要なビルの角の点とかのポイントを縦、横、ケント紙の右からいくつ、上からいくつ…と取って、写し出していったから。
こりゃー「絵」じゃなくて「製図」だな、と思ったけど、そのやり方を変えることはできなかった。
だったら、写真のコピーでいいじゃん、と自分でも思う。
ふぁ。。
さすがに講座内では、その“秘術”を披露する勇気がなくて、ごにょごにょ色を塗っていた。
いったい何のために絵を描いているのか。
生徒の中にひとりまったく題材を用意せず、頭の中のイマジネーションだけでイメージを紙に現わしておられる方がいる。
絵を描くってことは、本来こういうことだよな~と思う。
まず、頭の中に描く。それを紙に出しているのだ。
そこをしない(できない?たんに怠けている?経験がないから?)私は、何なんだ。
歪むからできない。下手だからできない。正確じゃないから…。「正確」なんて、この世界に生きているかぎり無理なのに。
進まない私を見かねてか、先生が最近描かれた風景がを参考に、と見せてくださった。
先生に上手いというのは失礼だけど、、、上手い。
同じ画材を使っているとは思えない。
先生はみんなに向けて「自分の絵を必要以上にけなすのはよくないですよ。向上心はいいけど、それとは別」とおっしゃった。
そうだよね。
私の今年の密かな目標(隠しているわけではいが)は、「自己肯定感を高める」だ。
プライドがあって自己肯定感が低いと身動きができなくなる。
必要以上に「私なんか」と言っていても意味ないよな~。どんな自己満足?
エゴだよね。
「父よ、私の自由はただあなたの中にのみ存在します。」とまでは、一足飛びに行けないけれど、真の感覚はこれなんだよな~。