2020-02-03
被造物とは何かー誰が創造し、何を創造するのか
「被造物(Creation)」とは、「限界なく遍在する無数の神の想念の総和である」(W-pⅡ.11-1:1)と定義づけされている。
「神は、延長により愛を増大させようとする。」(W-pⅡ.11-2:2)、そして「神の想念には、それらを創造した神がもつすべての力が授けられている。」(W-pⅡ.11-2:1)
「それゆえに神の子は創造に参与し、だから創造する力も必ず共有する。」(W-pⅡ.11-2:3)とある。
ここから推測すると、創造するのは、神と(正しい修正により自己を取り戻した)神の子ということになるのだろう。
そして創造されるのは、神の子であり、さらにその神の子が自らを延長したものとなるのかな。
被造物の質は?
「愛だけが創造し、しかもそれと同質のものだけを創造する」(W-pⅡ.11-1:2)とあり、その質をひとことでいうと「愛」となる。
また、「被造物とは聖なる神の子そのものである。というのも、被造物の中では、そのどの側面においても神の意志が完全であり、どの部分も全体を包含しているからである。その一体性が侵されることはないと、永遠に約束されている。」(W-pⅡ.11-3:2-3)とあり「一体性」という質がある。
被造物である私たちの「問題」は?
後半「神の子である私たちこそが被造物である」(W-pⅡ.11-4:1)と強調されている。
ただ、「私たちは、自分たちと神との永遠なる一体性に気づいていない個別の存在であるかに見える。」(W-pⅡ.11-4:2)
ここが、いつもACIMで取り上げられる、本当は実在しない問題の箇所だ。
個々バラバラで一時的な存在に見える私たちにも、先ほどの引用箇所にあるとおり、「神の意志が完全」で「全体を包含」しているならば、すっかり忘れてしまっているその「記憶」を呼び起こすことが大事なこととなる。
「この記憶を取り戻し、神の意志を地にも行わせ、正気に戻り、神に創造されたままの自分でいること、これだけを私たちの機能としよう。」(W-pⅡ.11-4:6)
わかるような、わからないような(感想)
途中の説明に「愛が創造したものが失われる時がくることはない。神の想念は(中略)時間が消え去った後も不変である。」(W-pⅡ.11-1:4-5)というところがある。
「創造したら、その分増えるんじゃないの?延長しているんだし。なのに不変なのかな?」と思うのは、私がこの世にいて、この世の概念で捉えようとしているからだろう。
この世のものではないものを抽象的に観念的に説明していあるから、私にとっては結局は「よくわからない」。
自分だと思っている、この私の中にも実は「完全な神の意志がある」ということだけ心に刻んでおこうと思う。