2020-01-24
「自分が就くべき特別の持ち場」って何かな?
「私には自分が就くべき特別の持ち場、私だけの役目がある。私が自ら選択してこの役目を担うときまで、救済は待ち続ける。」(W-pⅡ.317:1.1-2)
「しかし、父の計画が私に定めた道を自ら喜びを抱いて進むとき、救済がすでにここにあることを認識する。」(W-pⅡ.317:1.4)
「父よ、あなたの道が、今日、私が選ぶ道です。私は、その道が私が導くところへ行き、私にさせようとすることをする、という選択をします。」(W-pⅡ.317:2.1)
年越しの刺激を経てACIMのことが、そもそもなんでこれをやってるんだっけ?と曖昧になったまんまなので、原点に戻って『神の使者』の再読をしたいのだけど、まだできないでいる。
昨日は、1ヶ月半ぶりにワンコインイングリッシュに顔を出した。
カーペンターズの歌声に合わせてみんなで「Top of the World」を歌った。
きれいな歌だな。。
「あなたがいるだけですごい幸せ、世界のてっぺんにいるような心地なの」と、
愛する人に出会えた幸福感を歌っているようだが、歌詞の「You」を「聖霊」に置き換えたらパートナーがいない私でも心を込めて歌えそうだ。
「自分が就くべき特別の持ち場、私だけの役目」って、私にとっては何だろう?
ずっと気がかりなのは故郷でひとり暮らしをしている老母のことだけど、だからといって一つ屋根の下で暮らす決心はできないでいる。この気がかりという気持ちが「特別な関係」と言われる気持ちなのかもわからない。
いまの自分のエゴと聖霊の選択比率はどれくらいなのかな?
自分の知覚があてにならないとしたら、何をあてにしたら?
そこそこうまいこと行っているのか、大きくコースアウトしているのか。
定期的に読んでいた『神の使者』『不死といういうあなたの現実』を読まなくなって、もう半年以上経っている、そういえば。
わたしにとっては一度そこに戻ることが、“近道”かもしれないな。