2019-12-11
「もし私が時間を超えて超時性に到達することを選ぶのなら、時間が何のためのものかについての知覚を変えなければならない。時間の目的が、過去と未来を一つに維持することであるはずがない。」(W-pⅡ.308:1.2-3)
「私が時間から救われる唯一の時間枠は今である。今この瞬間に、私を自由にするために、赦しが訪れているからである。」(W-pⅡ.308:1.4-5)
昨夜悲しい知らせが届いた。
色えんぴつ画講座の世話役の方から、昨日講座の仲間の方が天国に旅立たれたのだとLineが来た。
昨日お見えにならなくて欠席の連絡もなかった。ご病気だということはみんな知っていたから、具合が悪くて連絡できる状況じゃないのかな、と話していた…が、ちょうどその頃が旅立たれた頃だった。
ショックを受けた。
とってもおしゃれでエレガントで小粋でパリジェンヌみたいな方だった。
初めて会ったときから、重い病気で入退院を繰り返しておられるということだったが、講座でお見掛けするときはいつも元気そうに見えた。
昨年には医師から“余命宣告”を受け「したいことを今のうちにしなさいと言われた」とお話しになり、フランスにひとり旅もなさっていた。
私などは、奇跡講座を勉強していると言いながら、自分のエゴイスティックな見方をなかなか改められず些細なことでも大騒ぎしてしまうが、その方は「私、たいへんで」といったところはいっさいなく、常に穏やかで気負いなかった。
私は「存在感が美しいひと」って素敵だな~と思っているが、その方はまさに「存在感が美しい方」だった。
個々のたましいというものはない、と奇跡講座で教わったが、それでも、今ここにいるように思えている私は、彼女の美しいたましいがあってそれが天に昇っていくように思える。
多くを語らなくても「存在」からいろいろ教わった。
すべては投影して見ているものだということだけど。
この瞬間は、その美しい方のことを想っている。