2019-12-02
『フォーティーズ・クライシスなんか怖くない!』
中年の転機-私の場合(中)のつづき
お店を始めて1年過ぎたあたりから、何で店をやっているのかわからなくなってしまった。行動の元になるエネルギーがなくなっている。
ある時久しぶりに書店に行った。吸い寄せられるように手に取って買った本がこれ。
~人生の最初の40年間わたしたちは自分自身ではなく、生理学的な自然のシステムに属して生存競争の勝者になるべくプログラムされている。でも今や、あなたには負けが目に見えている。パニックだ。
でも、嘆くことはない。あなたはただ変容の過渡期にあって、前の自分と変わった自分が葛藤しているだけ。これからが本当の人生だ。要らなくなった価値観を手放して、さあ、本当の自分を生きよう~、
といったような内容が書かれていた。
そして、フォーティーズ・クライシスは生殖可能年齢が短い女性に、より顕著に現れやすいこと、でもそれは“不公平”ではなく、気づくのが早い分、態勢を立て直して自分らしく生きる時間も長いのだと、書いてあった。
思い当たることばかりだった。
どうも私は知らない間にフォーティーズ・クライシスの一番大きな曲がり角を曲がっていたようだった。
繰り返し何度も読んだ。
そしてお惣菜屋さんをやめることを決めた。わずか1年4ヶ月の運営だった。
本棚を探していたら、本、まだ持っていた。裏表紙が破れセロハンテープが貼ってある。この本は、自分を助けてくれた人生で最も大事な本のひとつだ。
後に奇跡講座のワークをするようになって、この訳者の「香咲弥須子」さんのお名前をよく拝見する。コースの先生になられたんだな。
店をやって気づいたこと
後で気づいたことだけど、私は幼い頃から厳しい母が怖くて嫌ってはいたものの、自営業で女主人として店を切り盛りするビジネスウーマンの母に強い憧れも抱いていて、その母に認められたかった。母を追い越したい気持ちもあったようだ。それが、店をやってみたかった潜在的な理由だったのかもしれない。
しかし、じっさいやってみて、自分にはまったくビジネスセンスがないとわかった。そして嫌いながら強烈に憧れていた母とは、私はまったく違う人間だ、ということも、あたりまえだけど、わかった。
お店はスケルトンに戻して返す条件だったが、ありがたいことに次の入居希望者に居ぬきの状態で什器を含めて買い取ってもらえることとなり手元にお金が残り態勢を立て直す時間と軍資金にできた。そこから「中年の転機」の提唱者であるユングの講座にも出会った。
ユングの講座では「死と再生」という概念を習った。これは「これまでの古い自分が死んで新しい自分が誕生する」という意味で、人は生きている間、何度も「死と再生」を繰り返すのだという。
言いそびれていたけれど、当時私は事実婚でパートナーと一緒に住んでいたが私の身勝手な行動とお店にばかりかかり切りになっていたことで彼との関係も立ちいかなくなっていて、惣菜店を止めて9か月後別れて、引っ越しもした。
若かりし自分の「お墓」、と「再誕生」のシンボルをつくった
気づけば、39歳の私と、41歳の私では、やっていることも、住んでいるところも、一緒にいる人も変わってた。
私は元から精神的に大人になり切れず脆弱なところがあるのかもしれない。だから、何とかクライシスの影響も受けやすいのかも。。。
惣菜店をやめた41歳の時、紙粘土で作った自分の「お墓」がある(昨日探したら出てきた)。お母さんが怖くてでも甘えたくて表現もできず拗ねていた、若かりし私のお墓だ(ざんねんなことに、今もたいして変わってないが)。
そして死んだままではまずいと思って、再誕生のシンボル「Aeon」も作った。
やれやれ。
なんとまあ大掛かりなこと。ターニングポイントを曲がるのに、惣菜店をやるなんていう大きな“舞台装置”が必要だったとは!どうせ「夢」なら、こういうのは、あるいは一晩か二晩の「夢」で終えることもできたんだろうと思う。
ACIM学習者の適齢期を書こうと思ったときには、まさか自分のことを振り返るとは思ってもみなかった。こういう諸々があって、40歳すぎをおススメしたかったんだな~。
もちろん、人による。