「自我を導き手として自我にとっては異邦の旅に出かけた」-その橋の途中で

2019-11-20

イエスからヘレンへのメッセージが心のツボに

晩秋。

朝の空には小さな半月。都内にも落ち葉が目立ってきた。

『天国から離れて』が家に来て、また少しずつ読み始めている。

ヘレンさん、ビルさんに対するイエスのメッセージは、個人に向けて人間寄りの言葉で書かれているためか私には『奇跡講座』テキストよりわかりやすく、時々はっとすることがある。

昨晩読んだところも、はっとして、それから腑に落ちた。

それは、イエスからヘレンに向けられたメッセージ。

「あなたは自分自身の中に聖霊を探すという間違いを犯した。だからこそ、あなたの瞑想はあなたを怖がらせたのである。

自我の見解を採用することで、あなたは自我を導き手として・・・・・・・・・自我にとっては異邦の旅に出かけた。

これが恐れを生み出さないはずはない」(p351)

というところ。

私も、自我を導き手として自我にとっては異邦の旅に出たのだな、だからACIMに惹かれつつも近づくことに(ユング心理学でいうところのコンプレックスのような)ざわざわ感があるのだな、と思った。

私の場合、出発した時点ではこんな大掛かりな「旅」になるとは思っていなかったのか。

いや思ってはいたけど…。こんな未体験ゾーン感にさらされるとは…

自我が安心していられる範囲だけのつもりで始めたのかな?

長く細い橋の途中で

今は長い橋の途中にいる。

先は果てしなく長そうだ。

だけど、引き返すには知ってしまった。

帰りたくはない。

でも、自我はもう導き手にはできない。

自我は「先は闇だ、帰るべきだ」と声高に言う。

立ちすくんでいる。

…そんな感じ。

いやいや、風の音に耳を澄ましながら、橋の半分より先に歩き出しているかな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

← 戻る