ACIMワークブック297-赦しだけが、私が与える贈り物である。

2019-10-23

「私が与えるものは、すべて自分自身に与えられる」

赦しは、私が与える唯一の贈り物である。なぜなら、それが私が望む唯一の贈り物だからである。」(W-pⅡ.297.1:1)

そして私が与えるものはすべて、自分自身に与えられる。これが救済の簡単な公式である。」(W-pⅡ.297.1:2-3)

父よ、あなたの方法は何と確かなことでしょう。その結末は何と確実なものでしょう。私の救済における一歩一歩は、すでに、このうえなく正確に定められ、あなたの恩寵により達成されています。あなたが与えて下さった永遠なる贈り物と私のアイデンティティーについて、感謝を捧げます。」(W-pⅡ.297.2:1-2)

ちょっと目を離すと、すぐやっているワークが先にどんどん進んでブログのほうが置いてけぼりになる。ブログのワークをそんなに早く書けないから、だいたい1レッスンを3~4日やっている。

てか、実際にやれているかどうかわからないけど(第二部に入ってからけっこう流している)。

赦しだけが、私が与える贈り物である。」(W-pⅡ.297)

私にとっては「赦し」はこのゲンジツの世を取りなして贖うプロセスのようなもので、このような「唯一のギフト」という感じは持てていない。

私はまだ「赦し」が含有するものやその深遠さがわかっていないようだ。

このレッスンで印象に残る文言は、「私が与えられるものは、すべて自分自身に与えられる。」この秘儀ともいえるシンプルな公式がこんなにオープンになっている!素敵だ、と思う。

私たちが何気なく他者になしていると思っていることは、実のところ自分に与えているものの一部なのだなー。

「使わない機能は衰える」

昨日は「即位の礼」。いよいよ令和時代が本格的に始まった。ここに生きていると思っている私には、関係あるような、ないような?いややっぱり時代感覚は関係あるか…

雨の中友だちとランチしてお茶した。

何をしゃべるというのではないけど、だらだらおしゃべりするの楽しい。

ひとり暮らしの私は、ここ数年ますます人と話す機会が減ってきていて、「話すこと」が下手になっている。

脳の回路が錆びつきつつあるのか言いたいことがすぐ言葉として出てこなくて言いよどんでしまうし、もともと舌足らずな活舌はますます悪くなっている。

ふだんの生活では、単語や一文で済むことが多くて、劣化に直面しないで済んでいたけど。

あ゛~、何もしないと衰える歳なんだよな~。活舌が悪くなったと感じているのは同い年の友人も同じらしい。

やっぱり私にとっては身体はリアルかも!?

この世では「人間の筋肉、機能は、適度に使えば発達し、使わなければ退化・萎縮する」という有名な「ルーの法則」がある。

私は、まだまだこの世の法則からフリーになれるくらいACIMを学べているわけじゃないから、こっちももっと(ほどほどに)意識しようと思う。

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