2019-10-19
近況ー83歳母のIT力
今朝いちばんに、母に電話した。
母は83歳。富山でひとり暮らしをしている。あちこちが痛いと言いながらも、週に一度はお茶のお稽古に出かけまあまあ元気にやっている。
母への電話、何日か間を空けると私のほうに“罪悪感が”出てくる。あぁ、もしかしたらひとりで困ったことになっているかも。自分のことだけにかまけて母のこと忘れてた…。
これはACIMでよく言う“特別な関係”だ…と思う。けれど、その罪悪感を赦すというよりここでの“解決策”電話をかけることを選ぶ(今、思った、今度からは赦してから電話しよう)。
母は感情豊かで、第一声を聴くだけで瞬時に機嫌がわかる。
今日は、機嫌がよかった。体調がいいのかもしれない。
話題は最近の出来事やうわさ話、趣味でやっている株の上がり下がりなどなど。母はおしゃべり好きで9割がたは母がしゃべる。私はそれをふむふむと聞いている。
母「ああ、それからね、お茶で一緒の人に栗たくさんもらったん。それで、iPad miniで調べて“栗の渋皮煮”っての作ってみた~ん。一回煮たんでは固くてもう一回煮たらおいしくできたわ。」
私「へ~?自分で検索して!?」
母「ビデオみたいがやよ。作りながら見せとるやつ。笑い声もそのまま入っとるわ」
私「へー、YouTube?」
母「うん、それ。初めてで皮剥くがめんどくさかったけど、おいしくなったから今度和尚さん見えたときに出そうかと思って。」
私「うん、いいと思う」
お~!
私なんてITとかのなじみがないものに苦手意識があって、YouTubeだってネコ動画しか見ないのに。自分でYouTube検索して初めての料理を作ろうとするなんて。若いな。私なんかよりずっと柔軟だ。
ひとり暮らしで指南役もいなくても自らそういうことしようという気になるんだから、ITになじんだ孫とか一緒に住んでいたらかなり使いこなしてたかも?
母は「もの言う人(Yes・Noが非常にはっきりしていて、よく意見やアドバイスをしたがる)」だから、Twitterとかで「憎まれっ子世に憚る婆さん」になれそうだ。
ともかく元気で何よりだ、よかった、と安心する。
レッスン296-今日、聖霊が私を通して語る。
「今日、聖霊は私の声を必要としています。私を通して全世界があなたの声に耳を傾け、御言葉を聞くことができるようにするためです。」(W-pⅡ.296.1:1)
「私は自分が作り出した世界の救済者になりたいのです。私がその世界を呪縛したのですから、私がそれを解放します。」(W-pⅡ.296.1:3-4)
「世界が神へと楽に至れる道を探して見つけ出せるように、聖霊が私たちを通して教えるにまかせるなら、聖霊は喜んで私たちを地獄から救い出しにきてくれる。」(W-pⅡ.296.2:3)
自分がエゴの声に遮られず聖霊の声を発する媒体になれたら、それは素晴らしいことだ。たとえ一時であっても。
聖霊が私たちを通して教えるにまかせるなら、聖霊は喜んで…
本当?
ならば私は「聖霊が私たちを通して教えるにまかせる」のほうに懸ける。
ひやぁ~、こわい。
ちゃんと導かれる声を聞き取れているか。それが肝心だ。
解釈のしかたが間違ってたりして、変な道に迷い込み迷子になっていませんように(自分じゃわからん)