2019-08-09
もし傷ついているとしたら、傷つけているのは実は自分
この主題概念は私には受け入れやすい。この世のしくみを忘れてしまった時もこれさえ思い出せば、思い出せるんじゃないかと思う。
すべては私の思いなのだ、この世に映し出しているのは。
簡単に言えば、自分の人生の脚本家は自分自身。
もちろん思いの大部分は無意識に埋もれているから、自分では気づけないが。
また、思いが表面に浮かび上がった時は、同胞やこの世の出来事に投影して見ていることが多く、自分のものとは気づきにくいが。
でもレッスン281の主題概念を覚えていられたら、間違いを避けられそうだ。
罪悪感、恐怖感がなければそもそも苦しむことはありえない。
何かが起こらなければ幸せになれないのではなく、私たちの「ありのまま」の姿が幸せと喜びと穏やかさなんだ。
「父よ、あなたの子は完璧です。自分が何らかの形で傷ついていると思う時、それは私が誰なのかを忘れ、あなたに創造されたままの私であることを忘れているからです。」(W-pⅡ.281.1:1-2)
「私は自分の考えること以外の何によっても、傷つくことはありえません。」(W-pⅡ.281.1:1-2)
「私は今日、自分自身を傷つけない。」(W-pⅡ.281.2:1)
「神が愛するものは私の愛するものでもあるのだから、私が神が愛する神の子を攻撃しない。」(W-pⅡ.281.2:4)
ぎっくり腰と夏バテ
今朝起きたら、ぎっくり腰になってた。
眠っている間になったらしい。あ゛いたい。
外の暑さとエアコンの涼しさに身体がついていけず、夏バテもある。
お盆帰省が迫っている。
気力、体力…けっこう使う。大丈夫かなぁ。
いや…思い出せ、すべての脚本はわたし。
ぎっくり腰は、母からの電話を受けて来週の帰省のことを考えてたら、見ないようにしている申し訳なさや不安、恐怖感なんかを思い出したからかもしれない。
だれでも“心の地雷”を抱えているんだろうと思うけど、私の地雷は田舎に撤去されないまんまのやつがいろいろある(と思う)。
母に対する恐怖と恨み、つらみから始まったわが人生ー。
ようやくそれは「結果」であって「原因」ではないと知る。私という想念がそういう幼少期を求めたんだ。
無意識まではわからないけど意識的には親に感謝できるようになったこと、本当によかったと思う。
おかあさんが生きていてくれるのはありがたいこと。一緒にお盆を過ごせるのもありがたいこと。
それだけで十分すぎる。
不安はさておき、行けることを喜ぼう。