2019-07-29
時間を忘れたシェアの会
私が金曜慌ただしく『Journey through the Text of A Course in Miracle』の感想文もどきを書いたのは、週末本読みのシェアの会があったからだった。
もちろん「感想文」を書いていくなんて決まりはない。それどころか前回仲間が「本がまったく読めなくても、ブログ記事なんて1個も書かなくてもいい、来ておしゃべりするだけでいいんですよ~」と。その言葉が私を癒してくれた。
ブログに書いておきたいのは、このタイミングで何かしら備忘録を残さなきゃ私の場合すぐ忘れちゃうと思うからだ。かといって、自分だけのメモだとまた書けないんだな~不思議と。
さてー、そのシェアの会。
サイゼリアでくっちゃべる高校生みたいに時間を忘れて長いことおしゃべりして、楽しかった~!
だけど、何がどう楽しかったのかぐるぐるしてわからん。ハイになってしまって感情計の目盛が振り切れてる。
メンバーそれぞれが違う箇所を読んでいるからそれなりに時間がかかり、早めにシェアを始めないといけないのけれど、本題に入る前、選挙のことから政治のこと、経済のこと、(前回私が関心があると言ったから)ネットビジネスのこと、ITのこと、いわゆるスピリチュアルなこと、…霊(ユーレイとかの)こと、いろいろおしゃべりしたことがとっても興味深く、知らないことだらけだから、勉強にもなった。
もちろん本題はそれに勝るとも劣らず、いろいろ考える機会となり気づきもあった。
残念なのは、そうした話、、、蛇口から濃いカルピスの原液が溢れだしてて「どうぞ~」と言われている感じなのだけど、私のアタマのキャパが極小なゆえ、そこから目いっぱい取ってスポイトで「5滴」持ち帰れる、という程度なのだ。取りこぼしだらけだ。もったいないなー。
ICレコーダーを持っていって、録音して持ちかえりたいくらいだ。
「録音さしてもらいます」なんて言ったら、引かれるだろ~な(^。^;)
『夢判断』とワプニック先生
『Journey through the Text of A Course in Miracle』の今回読んだところで、ワプニック先生に前より親近感が持てた。
「奇跡は、問題は私たちや夢の中の人物である他者にあるのではなく、夢見者としての私たちにあると教えます。言い換えれば、夢を理解したいのならば、まず夢見者の心を理解しなければならないのです。」
「フロイトの不朽の名作『夢判断』は、私たちが寝ている時に見る夢を理解するためこの理屈を初めて論述したものですが、この考えはイエスのコースの中ではさらに解釈が拡げられ、起きている時であろうと寝ている時であろうと、夢のすべてを含めて考えています。」(訳はだいたい)
というところ。
長い間、ユング講座中で受講生同士、夢のはなしを聞いてきた者として、「そっか~、このゲンジツも夢と同じ?夢分析の延長で解釈可能なんだね!?」と、目から分厚いウロコがまた一枚落ちた気分だった。
自分でも漠然とそう感じていた。それが、文章になっているのを見て納得できたことが私にとって重要だったようだ。
むかーしの私の初回夢
フロイトはユングより19歳年上で、初めて会った時は意気投合しすぎて二人で13時間も話し続けたという。その後、ユングは独自の理論を打ち立てたので、フロイトの夢判断と、ユングの夢分析はちがう。
だけど無意識を重要視する点や初回夢(治療などを始めた際に、初めて見る夢)を重視する点は同じだ。
私は、むかーし初めてカルチャーのユング講座に参加させてもらった時のことなどを思い出していた(ユング講座のことも振り返りたい気分なのだ)。
2002年5月最初の講座で、先生から、見た夢を記録するように、できたら絵にしてくるようにと言われた。
これが、その時の初回夢。
夢:「知らない女の人が水が10㎝くらい入った水槽に入れられるところ。トラックでどこかに運ばれていくようだ。」
先生のコメント:
「この水槽はお棺ともとれる。また、子宮の意味もある。子宮回帰。
水は聖水。「死と再生」のテーマがあるわね。生まれ変わろうとするあなたを表している。
車がトラック(業務用車)だから、仕事に関することでもあるかしら。
もしかしたら、あなたはもう一方の水槽に入るのに待っているところなのかもね。」
夢の意味はわかったような、わからないような…、だったけど、この時まさに人生のターニングポイントで自分の心の探求が始まったように思う。
それがいずれはACIMにつながるとは思わないし、今ここからどこへ行くかもわからない。
まだ旅は序盤なのかもしれないな~、と思う。