ACIMワーク279-被造物の自由が、私の自由を約束する。

2019-07-24

第二部に入ってから、主題概念をぼんやりやり過ごすことが多い。とくに、神の子やキリストがよく出てくるところはかすかに抵抗感があり曖昧なまま通り過ぎている。

今日の主題概念「被造物の自由が、私の自由を約束する。」もそんな感じ。

被造物は自由だ。

→私もまた神の被造物だ。

→だから、私も自由であるはず。

ってことかな?

実相ではもちろんそうなんだけど、ここでそれを感じられるか…という―

はたして「自由」とは何ぞや?

ここでの自由とは?

今ここで私は自由なのか?

自由とは、おそらく、不安、心配、怒り、恐怖、罪悪感、嫉妬、焦り、不満、劣等感…さまざまなネガティブな感情から解放されており、心豊かで愛と感謝に溢れている状態かな?

う~ん、、、

自由とはほど遠いかな?

実相では神とともにあるのだから、今ここでもすでに自由でいていいはずだよね?

自由に慣れてないから…居心地悪く感じるのかな。

そして今、自由はすでに彼のものである。神が私に自由を差し出しているというのに解放するためにすでに断たれた鎖につながれて、私が待っている必要などあるだろうか。」(W-pⅡ.279.1:4-5)

よく言う“鎖につながれたゾウ”の話みたいなものかな?

サーカスのゾウは、とても小さな杭につながれているだけでその気になれば引きちぎることは簡単なのに、それを「しない(できない)」のは、

とっても小さいときから同じような杭につながれていて、できないと信じ込んでいるから、という―

つまり、思いこみ?

くせ?

この世に私が自由を投影したら、どんな夢を見るかな?

どんな夢を見たいかな?

もしかしたら、今見ている夢はそれをすでに投影しているのかも?

もっと自由でいいのかも…

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