2019-07-17
ACIMワーク277-自分で作り出した法則で、私があなたの子を束縛しませんように。
「偶像を崇拝しないようにしよう。そして偶像崇拝が神の子の自由を隠すために作り出そうとする法則を、信じないようにしよう。」(W-pⅡ.277.2:1)
「神の子は自分の信念以外の何によっても束縛されない。しかし彼の本性は、彼が隷属を信じるか自由を信じるかといったことを、はるかに超えている。彼は父の子であるからこそ自由である。」(W-pⅡ.277.2:2,3)
このレッスンは自分の価値判断で同胞を枠にはめて判断することなかれ、という意味かな?
私たちの世界には、不在となった(と思い込んでいる)神の代わりにあがめたりすがったり、大事にしたりする偶像がたくさんある。
人によって偶像の種類はいろいろだけど、そういうものが生きる希望になっているとも言える。偶像はこの世知辛い闇世を指す光のようだ。
しかし実際にはこれらは砂上の楼閣、夢にすぎないのだから、こういうものに振り回されたり執着しないでおく。
神という実在へと自分の心が近づくこと、神とともにある自分を認めること…かな。
なかなか…ね。
そういえばかつてパワースポットに行くのが楽しかったこともあったけど、あれも偶像崇拝のひとつだったかな?
一時期スピリチュアル・ティーチャ―、ソニア・ショーケットさんに夢中になりシカゴの彼女の自宅まで行ってリーディングをしてもらったリーディング・テープは長い間私の宝物だった。
けど引っ越してきてから、どこに紛れたのかなくなってしまった。これも偶像崇拝だったかな。いつか探してみよう。
完璧さにほど遠い日記ブログ
今回また第1回目の過去メモを見てみた。
2015年6月。まだこのブログを始める前(始めたのは2016年)だが、ワークの終わりが見えてきて、ワーク完了後の何かとしてブログを作りたいと思っていた頃だ。
当時のレッスン277のメモ書き。
Q:どうしたらACIMのブログを楽しく続けられるか。
A:まだまったく書いていないのに、楽しくも楽しくないもわからないじゃないか。
…何書いてんだか。
ブログに限らず、イメージを作ってそのとおり書けるものじゃないな~と思う。意外と(というかやっぱりというか)自分が出る。書けるようにしか書けないなものなのだな。
「です、ます」調がいいか、「だ、である」調がいいかも考えたけど、考えたらからといってそれに従って書けるものでもなく、落ち着くところに落ち着く。
先日のNishikiもくもく勉強会で、ある参加者のブロガーさん(じぇみさんだったかな?)が、「記事に完璧さを求めすぎてアップできてない下書きが170も溜まっているの。」とおっしゃってて、びっくりした。
傍から「わかる、オレなんか200以上溜まってる。」と聞いて、さらにびっくり。
ん?みんなそんなに完璧主義だったのか、
すごい…
私なんか下書きしたまんまの日記なんて1個もない。
こんなしょーもない日記でもアップする。
ブログは、私のACIM学習に緊張感を持たせてくれ自分とACIMをつないでくれる大切なツールだ。
こんなの読んでくれる人なんてよっぽど奇特な人だな~、と思うけど、もしその奇特な方がいらっしゃったら、、、
感謝します。読んでくださって、どうもありがとうございます。