2019-06-25
病院からのお手紙来てた
昨日、肺のCT検査の郵送が遅れていて不安を感じていることをブログに書いたが、その後郵便ポストを見たら来てた!
奇遇…というほどのことはない。私が金曜日に問い合わせたから、「あぁ、書かなきゃ」と書いて送って月曜に着くのは自然なことだった。
その場で封を開けたら、
「スリガラス状陰影はわずかに増大しています。サイズは1㎝に満たないですが専門医に紹介させていただきます。」とのこと。
1~2週間のうちに来院せよ、とある。
あ゛~、余計な症状を作ってしまったのかとがっくりきた。
本心を言えば、私は今の小さな甲状腺がん自体もう病院に行く必要すらないと思っている。検査をしたから発覚しただけで潜在的に同様の腫瘍を持っている人は数%いるというデータもある。
それを新たに受診すべき箇所が増えるなんて…
だいたい大げさなんだよな、1㎝越えるまで様子見してよ。
新たな病院、検査…おカネどうしよう?(ここにきて実は経済的な不安が大きくなっていた)
世の中には辛い病状で苦しんでいる方がたくさんいるし、こんなことで騒ぐのは見当違いと思ったけど、自分がこうした結果をゲンジツに作ったこと自体がイヤだった。
恐れを認めることが第一歩
聖霊さんをイメージしたら、瞬時に、
「致命傷ではない」と(感じた)。
「致命傷って、ケガの時に使う言葉じゃない?」とツッコミを入れてみた。
聖霊さんによれば、「ともかく恐いと感じているこを認めることが第一歩」だと言う(言われたような気がした)。
私はいろんなことを「何にも起きていませんよ」と否認する傾向があるからだろう。
こと身体のことに関して私は過敏だ。本性が出る。急所なのだ。
神との分離の投影の形態はいろいろあるが、身体には投影したくないと思っていたのだ。
聖霊さんによれば、
「この世での不安や罪悪感は消えないのだから(まったくなければ生まれていない)、
そんなものに気を取られることなく、
感謝せよ、
己を祝福せよ、
今、聖霊の導きのもと
神とあることを。」
と。
こういうことらしい。(そう感じた)
でも、ねえ。。
ACIMワーク272-幻想が神の子を満足させるだろうか。
あ、ワークのことを書こうと思っていたけど、つい一番気になっていることになった。
私にとって、書くことは癒すことでもある。ブログという密かに自己表現できる場があって非常に救われている。
レッスン272―
「今日、私たちは幻想を通り越して進む。
もしも、夢の中にぐずぐずと留まっていたいという誘惑の声が聞こえたなら、そこから顔をそむけて、自分自身に尋ねよう。
地獄と同じように簡単に天国を選択でき、愛が喜んですべての恐れと入れ替わるというときに、神の子である私たちが夢で満足できるのだろうか、と。」(W-pⅡ.272.2:1,2)
地獄と同じように簡単に天国を選択でき…?
天国の選択って、そんなに簡単じゃないよ?
私はまだまだ「個」に執着がある。
遠い天国よりも、ここでそこそこの自己実現で十分、と感じているかも。
そこそこの自己実現だって難しいけど。
あ、話がずれた。
それだけ恐怖感や罪悪感のすさまじさが想像できる、ってことだ。
それこそが幻想かぁ。本当はないものに恐怖を感じている。。
恐怖は正しく見ていたら感じえないものだ。
リアルだなぁ。
しかしよくできてるなぁ。
幻想が神の子を満足させるだろうか。。。