2019-05-15
肉体とは何か
肉体とは…?(ワークブックに書かれていることは正直私にはむずかしかった。まちがっているかもしれないけれど私なりに要約すると)
肉体とは、私たちが創った幻想上の囲いだ。
実際には起こっていない神からの分離を前提としたもので、本当の意味では他のものと同様存在しない。
何のための?
防御のための。
何からの?
神(愛)からの。
…となる。
肉体には神からの防御・避難のほか、分離のリアリティを高めるという機能があり、分離の裏づけを提供する。
私たちは個々の肉体を持ち、たがいの肉体を攻撃することで他者への攻撃が可能だというシナリオを書いた。
肉体はまた喜びを与え、この世に期待させ希望をいだかせる夢の役割も果たす。
だが、肉体にはいずれ死が訪れる。これこそが神からの分離を裏付ける「証拠」となる。
肉体が持続するものなら、攻撃・被攻撃のリアリティは薄れ、いつまで経っても朽ちることもなければ、
「あれ、自分って、神さまから離れてないんじゃね?」
…と気づくかも?
エゴはそれでは困るんだ。
このイリュージョンでは、
肉体は攻撃されうるし、いずれ朽ちてしまうという“問題”に意識を逸らしておくのが、最大の成功ポイントなのだ。
エゴが肉体に与えた目的を聖霊のものに転換する
私たちがこれまで自分自身だと思い込んでいた肉体。その真相を知ると気がめいることばかりだ。
しかし、私たちはエゴが肉体に与えた目的と機能を変えることができる。
聖霊の目的と機能に差し替えることで。
それは神の子としての自分が、同胞に愛を差し出すこと。
神が真実だという在り方をすること。
「肉体は、神の子が正気に戻るための手段である。」(W-pⅡ.5-4:1)
「神の子は兄弟に手を差し伸べ、自分と一緒に歩むようにと兄弟を助ける。そのとき肉体は神聖である。」(W-pⅡ.5-4:3,4)
肉体は道具。
その大元の拠をどこに置くか。
恐れか。愛か。
「愛と一体化すれば、あなたは安全である。愛と一体化すれば、あなたはわが家に帰っている。愛と一体化して、あなたの自己を見出しなさい。」(W-pⅡ.5-5:6,7,8)
…
こうやって肉体について教えてもらっても、やっぱりついこれを「自分」だと思ってしまうよ。
そして強い執着を持っているよ。
やっぱりできれば、
健康で、若く、少しでもきれいで、いたいな。
いろんなものを手放しても、この執着はなかなか手放しがたいだろうと思う。
この肉体を用いて、少しでも神さまのおつかいができますように。