ACIMレッスン238-救済のすべてが、私の決断にかかっている。
2019-01-24
あ゛~、みんなペラペラだよぅ
もてなし英語講座の2回目に出て、いきなりビビってしまった。
みんなものすごーくペラペラだ!!
あ゛~、私、場違いなこと来ちゃってるよぅ (;゜д゜)
だいたい私より上手だろうとは思っていたけど、こんなにみ~んながペラペラだとは!想定外だった。
現役の英語の先生や仕事で英語を使っている人などが参加されているらしい。こりゃ「中級」というより「上級」だな。
先生は第一言語ではないけれどもちろんペラペラで英語で自己紹介。その間もあるポイントでみんながどっと笑ったりしていたけど、私は9割方聞き取れず、
な、なんでみんな笑っているのー?(o’ω’o)?
あわあわっ、
見方を変えれば上達のチャンスでもあるのだけど、大いに怯えてしまった。
二人組になって自己紹介し合い、そのパートナーの紹介をみんなに発表している途中で時間になって、私とパートナーさんは次回にということになったけど、大丈夫かな?いやダメだ(>_<)
何を怯えているのか。
おそらく下手な自分をさらしてエゴが傷つくのが嫌なんだ。実力をそのまんま出すだけだから身構えることもないのにね。
もうひとつ。参加している方は、一様に外交的でコミュニケーションスキルが高く好奇心旺盛(に見える)。その場のテンションにもついていけてないんだ。
自分がネガティブ志向な内向型人間だと思い知らされる。
ありのまんまでぼーっとしていていいか。それとも頑張ってテンションあげるべきなのか。
そういうのが久しぶりで尻込みしたくなる。
あと6回ある。
旅の恥はかき捨てくらいの気持ちで挑めばいいんだろうな。
ひきこもりが社会に出るリハビリみたいなものか。
ACIMワーク238‐救済のすべてが、私の決断にかかっている。
私は物心ついた頃から、基本怯えているのかもしれない。
まず母に怯え、その先に現れた世の中に怯えた。
でも、ほどなく“人畜無害”だというペルソナ(仮面)を付けて出ていくことを憶え、それは学生時代も社会人になってからもうまく機能した。
私は見た目穏やかでそう自己主張しない(箸にも棒にもかからない)、しっかりはしていないけどまあまあまじめな人としてやれてきた(実際はどうであれ)。
仕事をしなくなり世の中に怯えていた自分の感じを思い出した。
これが私ですよとわかりやすく見せるべき自分を失った感じ。
そしてもともと自信があったわけではないが、社会的自己評価が下がった。
そうなのはどうでもいいと思っているけど、それは私が社会と接してないから意識しなくてよかっただけなんだ。
独身で子供もなく、そして仕事もなく…?
じゃああなたは何をしている人なの? 誰なの?
こういう怯えはすべてエゴの怯えだ。
それが浮かんできたときに、そんなものは幻想だと一つずつ手放していけばいいんだろう。
自分が自分をどう捉えるか。それは私自身の決断にかかっている。
私は大丈夫だ。
その根拠は何か。
「だから今日も再び、私たちは動きを止めて、父がどれほど私たちを愛しているのかを考えてみよう。」(L238-2-1)
「また、神の愛によって創造された神の子は、神にとってどれほど愛しい存在であり続けるかということや、神の愛は神の子の中で完全になるということについて、考えてみよう。」(L238-2-2)