2019-01-20
日曜の昼に好物を食べてしあわせ
1月も半ばをすぎた日曜日。ようやく2019年に立てた気がしている。窓から入る日差しが眩しい。
お昼は好物のトムヤムクンヌードル。
本格的な酸っぱ辛さがやみつきなのだ。
食べ物をストックとしておけない質で、あればすぐ食べちゃう。あまり体に良さげとも思えないからたまにしか買わない。
日曜の昼のぼわんとした時間にこのちょっぴりジャンクなお気に入りを食べるのは、ささやかな至福だった。
スープまで全部飲み終えた後、栄養表示に目が行った。「塩分5.0g」とある。このカップヌードル1個で5gとは!おいしくてもスープは残しておくべきか。。
デザートは炊飯ジャーで作った蒸したてのさつまいも。
炊飯ジャーで簡単にできると知ってから、できたてのあつあつをふーふー言いながら食べるのが楽しみになっている。
ほくほくというよりねっとりだったが、甘くておいしかった。
残りは部屋の隅で干し芋に。水分が飛んで一段と甘くなる。
これも完成まで取っておけずつまみ食いしちゃう可能性大だけど。
ACIMワーク237‐私は今、神が創造したままの私でありたい。
結局のところ私はいつも同じようなことを訴えている。
ACIMを歩みたいが聖霊の導きとエゴの間で葛藤があること。
そもそも聖霊の声がちゃんとキャッチできているかわからないこと。
ACIMの理解の仕方も独りよがりで間違っているんじゃ…?と。
そんなことをずっと言いながらも、ACIMから離れずにワークブックをしていればいずれACIMの思考が浸透して自然に前進できているんじゃないかとも期待している。
実際はどうなっているんだろう。自分のことは客観視できない。
世間の目で見たら、成長どころか大いなる堕落だとはわかる。のだけど。
そんな私に、レッスン237の主題概念は素直に響いた。
「私は今、神が創造したままの私でありたい。」
そう、そうなんだ。
私はACIMの道のどこらへんにいるかな。
道しるべは聖霊さんの声なのだけど、それに従ったり耳栓をしていたりの私は迷子になったりしていないだろうか。
「父なる神が私に語る救済の知らせを、世界に伝えよう。」(L237-1-3)
ここが今回このレッスンを読んでもっとも惹かれたところ。
私が自分の感じていることをもっと素直に語らなければ、私が見る世界も変わらない。
私のこれまでの人生では、“世間恐怖症”で素の自分を出すのをとても恐れてきた。
自分を出さないでいるのは楽どころか、逆にとてもエネルギーを要した。
もういい歳だし余計なエネルギーはない。
もっと素直に自分を表現したら?
それが「神が創造したままの私」だったら、とっても素敵なことなんじゃないか、と思う。