2019-01-07
帰京日、母腹痛で緊急救命センターへ
4日の切符をネット予約してあったが、母のパソコンの調子が悪くそれを回復させるべく、帰京を5日に変更していた。
しかしー。
5日の午後、施設に入居している伯父(母の兄)のお見舞い後ランチを食べて帰った午後4時あたりから、母の調子がおかしくなった。
お腹が痛いと言う。
腹痛は誰にでもあるが、私が家を出なくてはならない夕方6時になっても治るどころか、ますます痛むらしい。
どうしたものか。
土曜日の午後はどの病院も休診だ。
しかし、ますます苦しんでいる母。放っておくわけにはいかない。
緊急救命センターに電話してみたところ、「来てください」とのことでタクシーで向かう。
センターには大勢の人がいてびっくりした。待合室で待つも、激しく痛がっている母は中に入れてもらってベッドで待機することに。
10床位あったベッドもほぼ患者で埋まっている。泣きじゃくっている赤ちゃんもいる。
1時間位待ったところで、穏やかそうな男性医師が来られて、痛がる母のお腹を触診、「急を要する危険性おそらくなし」とのだったが、血液検査とレントゲンによる検査をすることに。
1時間位待ったところで、血液検査、レントゲン検査を実施。
それから、また待つこと1時間。母の痛がり方はどんどん激しくなっていく。
人手も限られているなか、看護師さんはテキパキと動かれている。「5分後、救急車到着します」とのアナウンスがあり、場に緊張が走っている。
そのまま入院することに
それから、また1時間位たったところで、医師から私が呼ばれる。
レントゲン画像を見ながら、「これが胃で、これが腸ね…」
何を言われる?と、体を硬直させ身構える私。
「ぜんぶきれいですね。多少ガスが溜まっているけど、血液検査、レントゲンとも異常なしです。」
ほっとする。よかった。
「何か変わったことは?」と聞かれ、「特にありませんが」と前置きしつつ、今日、私がお正月帰省から自宅へ戻る予定だった旨を話すと、「あ、そのやつね。今日も5人位、そういう方来てるよ」と。
そのやつってー?
「アルプスの少女ハイジ」でクララが足は悪くないのに歩けなかった、みたいなやつ?まさか??
母にレントゲンも血液検査も問題なしと伝えるが、本人はますます痛む様子。「昼食べたものが悪かったに違いない」と言い、浣腸して出したいと言う。
それを伝えに行くと「浣腸することで満足なさるなら、しますが」と医師。
浣腸後も、ますます派手に痛がる母。
私に「何とかしてー」というが、職員の皆が忙しそうな中で「検査で異常なし」となった老女にかまける暇がある人はいない。
私は、痛み止めだけでも、とお願いすることしかできなかった。
到着から約6時間後、緊急救命センターも落ち着いてきた頃、医師が「辛そうだし、家に帰っても眠れないでしょう、入院しますか」とおっしゃった。それから痛み止め?安定剤?の注射を打った後、入院の手続きとなった。
「たぶん翌朝退院できると思うから、10時に迎えにいらしてください。」
母がいない家の冷たさにたじろく
夜家に着いた時には、深夜1時を回っていた。
家はしんと静まり返っている。母がいない家に夜間に一人でいたことがなかったから、そのひとけのない冷たさにたじろいだ。
一日中あれやこれやと聞いてくる母にうんざりしていたけど、ここは母の声でうるさい場所、それでいいのだ、と思い返した。
お母さん、重病じゃなくてよかった。
それにしても、あの子供っぽい痛がり方とだだをこねる様。こんな人だったっけ?
翌朝母からの着信を見つけた。
電話すると「退院だって」と母。
「お母さん、お腹痛くない?もう大丈夫?」と聞くと、
「側弯症の腰の右、痛いが~」と。
なに?おいおい!
腹痛で入院したんだろうが!!
と呆れ果ててしまった。
お腹はすっかり治ったらしい。
帰宅後、コーヒーを美味しそうに飲んでいた。
これってお母さんと私の共依存劇場!?
これは、母と長時間同じ空間に過ごすのがしんどいと思いつつ意識下で罪悪感を持っている私と、
自律していて年の割にしっかりしていると思いつつ意識下で娘に甘えたいと思っている母の、
共依存が結晶してゲンジツ化した映像だろうか。
私がもっと母と居たいがために、母に腹痛を引き起こさせたのか。
ようやく1月7日。予定より3日遅れで東京に戻ってきた。
北陸新幹線から撮った日本海の空と、東京の空のちがうこと!東京の空はなんて明るいんだろう。
今年は、やはり母への特別な愛と罪悪感と向き合う年になりそうだ。