昔ながらのお正月

2019-01-02

あけましておめでとうございます、と新年のごあいさつをひとまず(^^)

元旦。

仏さまと神道の神さまと、天神さまにお雑煮をお供えして、手を合わせる。

神道の神さまと仏さまが共存しているところが、日本的。おまけに立身出世を願い学問の神さま天神さままで加えてしまうのは、富山県ならでは。

神さまと仏さま。そして天神さま。一見折り合わないように思うけど、先祖供養と子孫繁栄を願う気持ちでは一貫しているのだ。

 

それから母とお雑煮を食べた。

懐かしい味。おいしい。ほっこりする。

その後近くの神社に初詣に行った。神社は境内の外まで長い行列で、お参りするまで50分かかった。

おみくじも引いた。「小吉」だった。大きな飛躍をもくろむことなく、地味に地道に努力を重ねるべしとのこと。

 

ACIMワークのほうは、元日の朝からだめだった。

高齢な母は朝がとびっきり早く、起きている間休むことなく話しかけてくる。ひとり静かにいられる時間が見つけられなかった(母が就寝後の夜は何とかできた)。

二日の朝もしかり。

まあ、私のやる気が足りないのだけど。

10時からお寺から尼さんが読経に見えることになっていたので、そのお経を聞きながらワークをすればいいんじゃ?と思いついた。わが家は浄土宗だ。心の広い法然さんは許してくださるだろう。

尼さんの声は張りがあって美しく、目をつぶって聞きながら神さまと聖霊さん、父母に感謝した。心が洗われる気がした。

一人暮らしの私は、人とずっといるのに慣れておらず、一日中話しかけてくる母にワークでの感謝とは裏腹に、三日目にはもう疲れてしまった。

もちろんこれは私が映している幻像だ。

実家は赦しの機会の宝庫だと痛感。

「自分らしく」なっていると思っていたけど、母の前では撃沈。

今年も、相も変わらずここからスタートだ。