ACIMレッスン222-神は私とともにある。私は神の中で行き、神の中で動く。

2018-11-16

ペルソナがない夢!?

月1回のカルチャー講座ユング心理学講座では、後半夜見た夢の話をする。

私は、あまり夢を覚えていられるほうではないが、先週見た夢があったので聴いてもらった。

〈11月9日朝の夢〉

「ひとりでどこか観光地の川へ向かうが、天気が悪くて川は濁流。

 別のグループの方が川は止めてプールへ行くと言っていたので、私も付いていくことに。

 プールは新しくて水がきれいだった。

 プールに入って楽しんでいたが、自分が水着を着ていなかったことに気づく。ありゃ、まずい。

 他の人に気づかれないように、バスタオルを巻いてフロント売店に行き、無事水着をgetして、再びプールへ。(そこからいろいろあってそこがメインだったけど全部忘れた)。

 閉館時間になり、水着買ったつもりだったけど、レンタルだったのか、フロントで「洗って3階の屋上?に干して」と言われ、言われたとおりにして外に出る。」

あまり面白くもない夢だけど。

夢は無意識からのメッセージで、夢に出てくるものは、水=無意識、服=ペルソナ=(会社員、夫、生徒といった)社会的な立場や仮面といったように、この世での夢見者の何らかの状況を象徴していると見る。

先生は私に「(この夢に)何か思い当たることある?」とおっしゃった。

服(水着)を着ていなかった→社会的立場や仮面がない、ことは最近ずっと感じているけど、その他は特段思いつかなかった。

服はあっても、いざ外出しようとすると着る服がないというのは、ゲンジツの話でもある。

私は先生からなにか特別なアドバイスみたいなものを期待したけど、先生は、「いいんじゃない、ちゃんと売店で水着を手に入れられたんだから」とおっしゃった。

そんなに警告的な夢ではなかったのかな。

講座終了後、何人かで夜お茶をして帰った。

私、雑談がますますヘタになっている、と気づいた。

政治家の話とかになって、「○○、ひどいよね」「何が“美しい日本”だってねー」となっても、うまく会話の流れに乗れない。「この世は自分のエゴが見せている映画だ」という認識が浸透したためなのか、ゲンジツの会話に素早いリアクションがとれないのだ。

1対1はまだ話しようがあるけれど、複数だととくに。“あいまいな日本人”をさらにあいまいにしたほほえみ?を貼り付け、どーでもいいことしか言えない。

こういうことだから、水着(ペルソナ)を身につけていなかった夢を見たのかな~?

ACIMワーク222-神は私とともにある。私は神の中で生き、神の中で動く。

レッスン221をやっていたのは、月初。学生時代の街に小さな旅をした頃だ。

ワークのメモにはたいしたことは書いてないが、自分のことで感じたこととして、

「硬くなりすぎ」「緊張しすぎ」←「原始的な恐怖」で、それを手放す!

と書いていた。

それは、言葉を変えたら、

攻撃されてしまうんじゃないかという不安と、

それに対して、

自分が腹を立ててしまうんじゃないかという恐れ(自らの攻撃性を感じたくない)

だとも書いていた。

そういう不安や恐れから、リアクションがあいまいになっているのか。

でも、そういう場で『奇跡講座』の見方で話したら、そりゃ、事だよな。

自然と口数が減るのはいたしかたないか。

あ~、どっかで思いっきり、ACIMワークあるあるを話したい。