2018-06-02
やっぱり健康がいい
昨日ポストに病院から郵便が届いていた。私は検査をしたことさえ忘れていたが、バセドー氏病の疑いで血液検査の結果を知らせると言われていたことを思い出した。
封を開く時はちょっぴりドキドキした。
結果は「陰性」=とくに問題なし。
正直、ほっとした。
病気を増やしたくはない。健康でも、そうでなくても体は幻想のだと言われるが、それでもやっぱり健康がいい。
引き渡しを受け、新居の準備
引っ越しPのほうは、新居の月曜日に引き渡しを受けてから、俄然慌ただしくなってきた。
受け取った鍵で初めてひとりで見に行ったら、あら不思議。
購入を検討している時には、ただ日当たりよく風通しよく、OK!すばらしい!と思っていた室内がまったくちがった風に見えてきた。
壁紙の汚れやレンジフード、エアコンの汚れなど、老朽化したところや汚れが目につく。とても汚れている。
自分のものと思う前は、よいところばかり見えて、自分のものとなったとたん粗が見えるというのは、いったいどういう知覚の変化なんだろう。
恋愛や結婚もそうかな?こちらのほうは、私には語る資格なし、だけど。
ともかく入居前に、そうじしなくっちゃ!あとリビングの壁紙くらいは新しくしたい。だれに頼めばいいのかな?いくらくらいかかる?
また、照明器具やカーテンがないこと、洗面台がないこと(売主さんが持っていかれた)など、必要なものが浮かんだ。フローリングって生まれて初めてだ。なんか敷くものも要るかな。
これらは未来に向けて「楽しいこと」に入るのだけど、ここ何年も心のエネルギー不足気味な私にとっては、決めるということにひとつひとつ気合いが要った。
断捨離を邪魔する過去への執着心
その前に旧居の断捨離があった。
新居は押入れがなく収納が半分になるし、壁がとっても少なく本棚や収納家具の置ける場所が少ない。
3月に5本あった本棚のうち1本を分解して粗大ゴミに出した。今週、本棚をもう1本解体して粗大ゴミに出した。
いま、ここから、必要なものだけ持っていけ、と言われたら、必要なのは奇跡講座関連の本と、『アナスタシア』シリーズなどの何冊かの気に入った本をすぐに選べる。
だけど、ここにあるものから、どれかを捨てなさい、と言われたら、なかなか捨てられない。
必要な本はわかっている。だからそれ以外はいま必要ではないのかもしれないけれど、なかなか踏ん切りがつかない。
それでもブックオフに何往復かした。(たくさんあるのだから、段ボールに詰めて取りに来てもらえば効率的なのに、少しずつでないと処分ができず、重い物を紙袋に詰めて手を痛くしながら売りに行った。)
本は40冊くらい持っていっても500円にもならないけど、捨てるより手放しやすい。
私にとってとくに処分しづらいのは、自分が昔書いた仕事のノートや人からもらったはがきや手紙だということに気づいた。写真もそうだ。
こういうものは、お金では買えないものだ。自分の過去が投影されている。私はどうもそういうものに執着が強いみたいだ。本が捨てづらいのもおそらく、過去の自分が入っているからだ(本に自分を投影するタイプ?)。
引っ越しもまた赦しのレッスン?
引っ越しというのは、手間がかかるから「細かいことなんか、こだわっとれん」と大胆になれるし、過去でいっぱいになった自分の容量を空けるにはとってもいいチャンスだと思う。
それでも、まだまだ執着心がある。
いずれは、何一つ持たずに旅立たねばならないというのに…
手放す=赦す
今やっているのは、私なりの赦しのレッスンなのかなと思う。