2018-04-28
先週末からの急展開の売却契約
きのうは自分のマンションの売却契約だった。
先週土曜の内覧から一週間。ものごと進む時には一気に進むもんだなぁ、と感慨深い。
そんな急展開があるとも思わず、ゴールデンウィーク中も内覧の方を待機するものだと思っていたのに一転。昨夜は解放感と安堵が湧きあがり、緊張で強張っていた身体から力が抜けた。ほんと、よかった。
一方で、住み替え・引っ越しが現実になってきて、リフォームを含めて、やることたくさんだな、と慌ただしさも感じ始めた。
買主さんとその仲介の不動産屋さんは、とにかく「娘さん宅に近いところ」でひとり暮らし用物件を探していたがなかなか見つからず、エリアを広げて探しておられたそうだ。
ここから娘さん宅へは徒歩5分もかからないという。「見つかって本当によかった」と喜んでおられる。ずーっと前から出ていたのに、目にしたのは先週末だったのだ。
人のニーズはそれぞれだなぁ。そしてタイミングが縁だなぁ。
やっかいな管理組合業務のことが気になっていたけれど、買主さんは発言力がありコミュニケーション力も高そうな方で、私が心配する必要もないと感じた。「後期高齢者」なので望めば役も免除されるはずだ。
そうそう、私が手付解除でキャンセルしてしまったマンションの方も買い手がついたようで、マンションサイトから消えていた。ほっとした。
ここに来てからの15年間の流れを思う
今回の住み替えが自分にとってどんな意味を持つのか、私には全体像は見えていない。
単に古くなったマンションの買い替えというより、人生のフェイズの変化時だと感じているけれど、どんなふうに変わるのか見当がつかない。
ここに来てもう15年か、早いな、とここ15年を振り返った。40代に入り「中年の転機」の真っただ中だった。
その頃も「もう、歳だな(-_-)」と思っていたけれど、今より15歳も若かった!
時間もまた幻想で、私たちが在るのは今しかない。
そうなのだけど。そうなのだけど…。やっぱり時の流れを感じる。
15年間この地とこのマンションに守られていたんだとも、感じた。
「自分探し」ではなく「自分なくし」
30代から40代にかけてずっと「自分探し」をしていた。
だけど、ACIMに出会って今改めて思うのは、私がすべきなのは「自分なくし」なんだということだ。(「自分なくし」という言葉は、みうらじゅんさんの『ない仕事のつくりかた』という本で出会った)
今、自分と思っている自分はエゴに操縦されているのだから、それをなくすくらいの気持ちでいたら、その奥にある神の子としての真のアイデンティティに近づくんじゃないか。
なくしても、なくしても、なおなくせないもの、が残るのかな、と思う。