2018-01-09
東京と故郷・富山には時差がある!?
年末年始は母と二人濃い時間を過ごすことができた。
5日に東京に戻ってきた後、ぼーっとしてしまって東京の生活リズムを思い出すのに時間がかかった。
今朝、毎年もらっている銀行の一年カレンダーをしごと部屋に貼り付け、ようやく2018年に立った気がした。
故郷と東京を行き来した際はいつも“時差”があるかのように感じてしまう。私にとってあまりにも世界観がちがって、それに反応して自分の在り方も変わってしまうからだ。“時差”ならぬ“地差”とでもいうべきか…
実家では母の家で母からの刺激に対してリアクションしているだけ。何日かいっしょに過ごすと“自分”がわからなくなってしまうのだ。そもそもこだわらねばならない自分なんてないのかもしれないけど。
ACIMワークのほうもしばらく休んでいた。今朝しばらくぶりでワークをした。東京でACIMを学んでいた自分の感じも、少し思い出した。心が落ち着きすっきりした。
80代ひとり暮らしの母のことが気にかかりながらも、一つ屋根の下に暮らす決心は持てないままという現状は今年も続きそう。
80代の母、iPad miniの練習をしYou Tubeにハマる
よかったのは、年末年始いっしょに母の歩行練習をしたりストレッチをしたりして、室内や安全な場所ならば100~200mくらい歩くのは問題ないことがわかったこと。母も「歩けるようになったね」と顔が晴れやかになった。
冬は雪があるから買物に出るのは難しいけれど、新たに生協に加入し、生協にないものは私が買いに行った。元々備えあれば憂いなしタイプの母は生協の注文量が半端なく、ひとり暮らしなのに冷蔵庫3台を稼働させ、冷凍肉魚や缶詰など今や丸一ヶ月籠れそうなくらいたっぷり備蓄がある。
それでもひとりで時間を持てあますのでは?と、母に買ったiPad miniに新しく音楽をダウンロードしたり電子書籍を買ってみたり、インターネットで検索するのを練習したり、You Tubeをいっしょに見たりした。
好奇心旺盛で美術や建築が好きな母はYou Tube上の建築や庭の動画に食いつき何時間でも見たがった。インターネットの検索の方は高齢者だからか、ネットに溢れる情報から、どこを見るべきかがイマイチわからず、広告などへんなところに引っ張られてしまうきらいがあるけれど、前よりもできるようになった。
「Wikipediaっていうのは、インターネット上にある百科事典で、みんなで自由に書いたり編集したりするらしいよ」と私が言うと、「じゃあ、私も書きたい」と言い、私をびっくりさせた。おいおい、見る方じゃなくて書く方なの?
私はネットやiPadに詳しい方ではないのだけど、母の要請に従ってあれやこれややることで新たに知ることも多く、「(母のように)やりたいことや好きなことがはっきりしている人って、強いな」と思った。
母のiPad miniと私のiPhone間で、Face Timeの練習もした。私が電話をauからmineoに替えたので母との通話料が高くなってしまったから。Face Timeならただだ。家の端と端でFace Timeの画面を覗きながら「元気にしてる?」と昔の糸電話みたいに話をした。
こうしたiPad miniの刺激がいつまでもつか、また母一人になってひとりで使いこなせるものかどうかわからない。2018年も各々ひとり暮らししつつ昨年より帰省の回数を増やして様子見を継続することにした。
2018年、幸せな時を紡ぎたい
母はやはり一緒に暮らしたいようだった。ただそれは私が「娘役」に徹し母に合わせているからだと思う。私の方は「実家は母の世界、ここに自分の時間と空間はない」と感じてしまう。どこか近くに私だけの部屋が持てればもっと近くにいられるかも、と思ったりもしたが、その分追加コストが必要になる。母にその必要性の意味は理解できないだろうし。
そもそもそれ以前に、今や限りなく無職に近いフリーランスの私。貯金の切り崩しで生きるにも限度がある。私はこの先どう稼ぐのか。
その場にいて働かなくてもネット上のしくみを利用した収入源を探したい。時間がかかるかもしれないけれど、少しづつでもなんかできないかな、と思う。
東京に戻ってほどなく母からFace Timeがかかってきていた。気づかなかったらしく不在着信になってしまっており、今度は私からかけたが、今度は母が取らなかった。固定電話をかけてそれから、お互いFace Timeの操作をして話した。
今はちゃんと使いこなせれば便利が道具がいろいろある。一瞬、母がえらく使いこなして、しょっちゅうFace Timeがかかってきていたら怖いな、と思ったけれど、こうして母とやりとりできる今は、有り難く幸せだ。今年のお正月もすばらしく幸せだった。
2018年も、イレギュラーなかたちでいいから、自分なりのハッピーを紡いでいきたい。