レッスン159-私は自分が受け取った奇跡を与える。

2017-10-31

もうひとつのライフワーク候補『源氏物語』

10月ももう最後の日。1ヶ月が早いなぁ。

日曜日、友人に声をかけてもらって『源氏物語』の講座に参加した。前に、私が源氏物語に興味を持っていて「源氏物語を原文で読んでみたい、ライフワークにできたらいいな」と言っていたことを覚えていてくれたのだ。

源氏物語は、約100万文字、400字詰め原稿用紙で約2400字の大作。以前にマンガや現代語訳で読んで、すばらしい、と思った。1000年前に書かれたとは思えない。恋愛、親子の情愛、栄枯盛衰、嫉妬、裏切り、因縁、人間の営みのすべてが入っている。レディ・ムラサキこと紫式部は日本より海外で著名らしい。あの時代に女性がそのような長編文学を書いていたなんて…、すごい。

友人はその時「いいね、いっしょに源氏物語をライフワークにしよう」と言ってくれた。けれど、その後、私は急速にトーンダウンしていた。

これを原文で読むのはなかなかハードだ、ましてや私には優先すべき『奇跡講座』がある!テキスト、ワークブック、マニュアルもまだまだ途上だ…。そう思いかえし源氏物語のほうは頭の片隅に追いやられていたのだ。

おととい50年も源氏物語を研究なさっている造詣が深い先生のおはなしを伺って、また興味をそそられた。

源氏物語も読んでみたいな、古文で。そう思った。

源氏物語と奇跡講座。

両方を学ぶのはとても私の持ちじかんでは足りない。いや、そのひとつでも足りないだろう。でも、いいな。すてきだな。

どっちも時間はかかるけれど、おカネはかからない。こつこつ学んでいくのが好きな私には、ぜいたくな時間じゃないかな。もちろん、生活が安定してこそのライフワークと思うけれど。

思えば、源氏物語のほうは二元論の映し絵の世界の代表、奇跡講座は一元論の真実を描いたもの。今、私がいるのは二元論の世界だけれど、この2つを通して、今も昔も変わらない二元論の世界と真実の世界を知るのはおもしろいんじゃ、と思う(こじつけかな?)。

レッスン159-私は自分が受け取った奇跡を与える。

この世では人に何かをあげることと受け取ることは別個のこととされているけれども、実相ではあげることと受け取ることは同じ。他者に差しだすことによって、自分自身のものとして認識される。

赦してこそ、赦される、癒してこそ、癒される。わかちあわなければ、まだ自分のものにはならないのだ。

レッスン159で、わかちあうのは「奇跡」だ。

「奇跡」という言葉も、『奇跡講座』のキーワードの一つ。「奇跡」とは真実が顕在化すること。何かミラクルなことを起こすことをさすのではなく、すでに在る真実が私たちの物ごとの見方が変わることによって見えてくる。もの物ごとの見方の変革を差す。

奇跡によって見えてくる光景がヴィジョンだ。

私たちはヴィジョンをわかちあうことによって、奇跡をわかちあう。

キリストの 心眼ヴィジョンは奇跡であり、その中ですべての奇跡が誕生する。キリストの心眼はすべての奇跡の源であり、あなたが与えるどの奇跡にもとどまり、かつあなたのものでもあり続ける。(L159-4-1,2)

このヴィジョンの下では、罪のある者も罰せられる者もいない。病も欠乏もない。

奇跡はすでに私たちの心の「キリストの宝庫」に与えられている。それを他者に与え、わかちあうこと。それが私たちがその宝を手にする方法である。

あなたが与えることができるように蓄えられているキリストの奇跡を見なさい。それは神があなたに与えると約束した贈り物である。その贈り物に、あなたはふさわしくないだろうか。神の子を裁いてはならない。それよりも、神が定めた道を進みなさい。(L159-10-1,2,3)

ワークをして

このワークをしたのが、10月24日、25日だ。

いつもワークといいつつ、いろんな雑念が頭をよぎっていく。

またワーク中に生前の父のイメージが出てきた。

私の関心が父に向かったのは父が病気になってからだけど、もっと元気なうちに話したり時間をともにしたりすればよかった。いろいろと期待を裏切ることばかりで、申し訳なかった、と思った。

お父さん、ごめんなさい。そして、ありがとう。お父さんが大好きだよ。

こういった思いを抱くのは、私がヴィジョンを身につけておらず、幻想を見ているという“証拠”なのかもしれない。ACIMから見たら、神との分離を投影したまったく見当違いのイメージなんだろう。

でも、そう思っている、そう見えている自分のことを赦した。

そして、父のイメージに、ありがとうと言った。

気持ちが少し和む。やっぱり元気な時に言いいたいことばだなと思う。

他にもいろいろ思ったけれど、今日はこれで。

浮かんだことば

自分が与えなければ、自分に与えられていることがわからない。