2017-09-23
終わりとはじまりの、秋分
気づけば今週はじめての日記更新。秋分の日ともなると随分涼しく秋が深まった感がある。
政治では衆議院議員の解散が決まり、一気に選挙モードとなった。芸能界では、安室奈美恵さんの電撃引退発表に日本中が衝撃を受けた。
安室奈美恵さん、私なんかからみると、下の世代で10代で世を席巻して「カッコいい女のコ」の代表みたいなイメージのままだった。ほんとうにいつ見てもプロフェッショナルで美しい。
その彼女ももう40歳になるのか(そりゃ、こっちも歳とるわ~)、またひとつある時代が終わった…と感じた。
一方で、元smapのメンバーが新しいファンサイトを立ち上げたというニュースもあった。
「新しい地図」というそのファンサイトの動画を見て、とっても素敵だなと思った。だれが作ったんだろう、動画から空気と風のここちよさと広がりを感じた。未来もあえてポジティブにしなくても大丈夫だ、つながっている、と思えた。そして、ふと『奇跡講座』もまた「新しい地図」と言えるかもしれない、と思った。
私自身は、ある少し緊張する仕事の準備と当日で、疲れが出てへたっていた。たいしたことはしていない。だけど、あがり症と過緊張体質で、知らず知らずに身体に力が入ってしまうから疲れてしまう。
その頑張っている最中はアドレナリンやノルアドレナリンが出ていていわゆる戦闘モードになっているけど、仕事がひと段落すると、反動からか動けなくなってしまうのだ。今回は軽い膀胱炎もあった。
40代以降のこの体力の乏しさは、フリーランスでは致命的弱点だ。ここで無理をするとこじらして、回復までにまたえらい時間がかかる。何度も経験して自分のパターンがわかった。
まぁ、体質だ。というより、心の質といった方が正しいか…。
ワークをやりながら、「この過緊張の正体は恐れとその防衛反応で、それこそが私がこれから赦すべきテーマなんだな」と感じていた。心の隅にある「人が怖い」とも関係するかもしれない。
バイト探しは、体力に自信が持てないこともあってしばらく中断かな。気になるのがあるのだけど、応募するパワーがない。働ける自信もない。
レッスン150-レッスン139、140の復習
復習Ⅳを貫くテーマ
「私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。」
レッスン150の2つの復習
L139)私は自分自身に贖罪を受け入れる。
L140)救済だけが治癒をもたらすと言える。
ワークをして
このワークしたのは、9月18日と21日。
ワークをする際、ノートにその日の主題概念を書き移すが、「あがなう」という字がうろ覚えで書けなくて、ネットで調べた。
贖う。
貝へんに「士」と「買う」みたいな字を書く。
どんな成りたちかと思ったら、
「『眚(せい・あやまち・わざわい)』の省略形と『買』から成り、わざわいを貝でもって救うことで、贖罪の意味を持つ。」とあった。
「贖罪」の意味は、
1.金品を出したり、善行を積んだりして、犯した罪をつぐなうこと。また、刑罰を免れること。罪滅ぼし。
2.キリスト教で、人々の罪をあがない、人類を救うために、キリストが十字架にかかったとする教義。和解。
『奇跡講座』はキリストの声による、聖書の修正だということだから、この2の意味の意味の修正ということになる。
そして、正しい意味はレッスン139本文にある。
「贖罪が治癒するのはこの奇妙な考えである。すなわち、自分自身を疑い、自分が本当は何なのかについて確信を失うことが可能だという考えである。」(L139-6-1)
つまり、罪と思ってきたことはすべて誤解であり、自分自身がだれなのか―今も神に創造されたままの私であり神の子である―について確信を持つこと。
これが贖罪を受け入れるということだ。文字どおりの「罪滅ぼし」。
私たちがワークでやっているのは、様々なかたちでの罪滅ぼしの練習だ。
そして、レッスン140の「救済だけが治癒をもたらすと言える。」
私自身も40代以降身体の不具合がちょこちょこ出て50代では病気が発覚し、「歳のせい」だと思っていたけど、真の原因は「罪悪感」ということになる。
前にも引用したかもしれないけれど、
「罪悪感がないところで病気が生じることはありえない。病気とは罪悪感のもう一つの形態にほかならないからである。病人を癒すことは治癒ではないので、贖罪は病人を癒さない。業気を可能にしている罪悪感を取り去るだけである。そしてそれがまさしく治癒である。」(L140-4-4,5,6)
というのが、病気とその治癒の本質を表していると思う。
一つの幻想を別の幻想に変えるのではなく、その夢から覚めるのだ。思っていても、幻想のなかにいてそこでの幸せや成功を夢見ている私にはむずかしいけど。
ワークをして感じたのは、今回の復習の主題と直接関係するわけではないのかもしれないけれど、
「『頑張らなくては幸せになれない』というこの世の一般的な考え方はまちがいだ。だれでも、どんな時でも幸せであっていい。それが真のあり方だ。」ということ。
今から思うと、本当かな、とも思えるが。
アファメーション
だれかがわるいわけじゃ、ない。みんな幸せであっていい。