2017-09-08
「戦闘モード」で赤目に!?
おととい夜、歯磨きの際鏡を見たら、白目が真っ赤。充血とかではないレベル。ネットで見たら「結膜下出血」というらしい。
昨日会った人には「私もなったことある。お医者さん行ったら、老化現象だって言われた」と。動脈硬化や高血圧、糖尿病などが隠れている場合もあるとか。
ここ数日、自分の中では、新たに収入源を見つけねば…と頭に気が上り「戦闘モード」になっていたから、血圧が高くなっていて、ブチっと眼の血管が切れたとしても不思議はない。
バイト探し→面接を急ごうと思っていたけれど、この赤目は怖い。第一印象が大事な面接では避けるべきだろう。具体的に動くのは来週か。
困ったと思う一方、ほっとしている自分もいる。見栄えが良くない。早めに治したい。
そもそも戦えるスペックがないのに戦闘モードとは…!疲れるだけだ。戦う対象はない、まったくACIM的ではない。
この世を作っているのは、実は自分自身だ、神の子が困るはずはないと鷹揚に日々感謝して構えていればよいのだ。
だが、そこまで身についていない。いつまで経ってもACIMビギナーだ。
レッスン146―レッスン131、132の復習
復習Ⅳを貫くテーマ
「私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。」
レッスン146の2つの復習
L131)真理に到達しようとして、それに失敗する者はいない。
L132)これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。
ワークをして
9月6日と7日にやった。朝と夜のワークはできたけれど、毎時間のワークはほとんどできていない。でも、それにこだわるとまったく前進できそうになかったので、「二回目だし、いっか」と自分に甘く、よしとした。
復習Ⅳの序に書かれている「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を、受け取りなさい」という、その「贈り物」がよくわからない。
受け取ることができているのか、いないのか…。はっきりとしたメッセージ等はわからず。
ワークをすると、上がっていたテンションが下がり穏やかな気持ちになれる。だから、本当は日中もちゃんとできればいいのだけれど、時間がなく、ざわざわしてワークに向かえない。
昨夜のワークで感じたのは、この世界自体が生け贄だということ。
何の?
私(私たち)がエゴに捧げた生け贄。エゴという偽神にささげた生け贄。
そして、私たちはその生け贄のおこぼれをいただいているというわけだ。(ほんとかな)
でも、それもまた幻。
昔ばなしで、たぬきからおまんじゅうをもらった、と思ったけれど、後で見たら枯れ葉になったいた、…みたいな。
これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、世界を解き放つとは、自分サイドからみたら、世界的な位置づけをスルーするということだ。
楽しむのはかまわない。だけど、捉われてはいけない。
それは、たぬきの葉っぱだ。
だまされるゲームに興じることができるのは、若さのゆらぎであり、人生の午後には幻を見通すことが必要だ。
…そう感じた。(なんかえらそうに書いているけど)
私はたぬきの葉っぱをたくさん集めている(^_^;)
アファメーション
この世界は私がつくって見せているのだ。脚本を書いたのは私だ。