2017-09-06
1%未満
預金をガンガン切り崩す生活が続いていて、自分の中のここまでというラインを超え9月に入り、いよいよどうしよう、と不安になっていた。昨夜は夜も寝つけなかった。
こうした不安は、まさにエゴからこの世に「神からの分離」恐怖を投影したもので、まさに赦すべき対象だと頭では知っていたけれど、元々テンパリやすくビビりな私は一回スイッチが入ると、上がってしまった気がなかなか下りない。何かに煽られているような気がして考えもまとまらなくなってしまう。
これまでACIMワークから学んできたつもりだったけれど、エゴが氷山だとすると、その一角にかすり傷をつけたようなものでその1%すら解体できていないのだな~と、感じた。1%に満たないとしてもしないよりはよいと思うけれど。
私が感じている不安は、まさに赦すべきものだ。
ワークをするとそのことを思い出してしばらく落ち着く。その後、また不安がよみがえり、ドキドキしてしまう。そんなことを繰り返していた。
ふと思いついたのは、ブックオフで本の買取をしてもらうこと。宅配買取価格が30%アップになっていたのを見て申し込んだ。
物がないわが家だけど、本だけはけっこうある。本当ならば、『奇跡講座』と『神の使者』シリーズだけ手元にあればいい。だけど、そこまでは手放せず今回は1箱だけ。
とにかくわずかでも換金化しようという発想か…とにかく売れるモノを…と本に目がいった。もっと考えるべきことがあると思うけど。でも、とりあえずの一歩?。。。
レッスン145―レッスン129、130の復習
復習Ⅳを貫くテーマ
「私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。」
レッスン145の2つの復習
L129)この世界を超えたところに、私の望む世界がある。
L130)二つの世界を一度に見ることはできない。
ワークをして
ワークの内容と、自分の日常とが乖離しているな~。まぁいつものことではあるけれど。
「あなたをとらわれの身としておくためにこの世界が並べ立てている卑小なものごとから自分自身の心を解き放つとき、それを入れ替わりに訪れる世界が、ここにある」
「虚無に価値を認めないという選択をすることで、あなたがどんな損をするのだろう」(ともにレッスン129より)
私が感じているおカネや未来への不安こそ、虚無であり私を「とらわれの身としておくためにこの世界が並べ立てている卑小なものごと」なんだろう、私にとってはそうは思えないけれど。
でも、神の世界で不安はありえないことでそれは虚無でしかない。この不安に価値を認めないことこそ、ワークで求められていることなんだな~と思う。
「あなたが見ているものは、あなたの思考を反映している。」
「あなたが見ていると思っている一切を作り出したのは、恐れである」
そう、恐れなんだ。
そしてそれは自分が肉体であること、この世界がリアルであることを前提としたものだ。
「どのように重複することもない二つの世界が、両方とも一度に見えるということはありえない。…(中略)…実在か非実在か、それだけが選択できるすべてであり、それ以外に選択肢はない。」(ともにレッスン130より)
私は非実在を選んでいるのだなぁ。
今抱いている不安は、赦すべきもの。非実在、ないものであり、手放すべきもの。ただ、私の心の中にだけあるものだ。それを世界のスクリーンに映し出してみている。
だから本来ならば、不安から行動するのではなく、何かやりたくなったりインスピレーションを感じた時にそれをやるべきだ。
おカネはなく、あるのは神の豊かさなのだから。そして、豊かさは神の子である私の元にも必ず訪れているのだから。
こうしたこととともに、感じたのは、2013年からACIMワークを初め、ことに2015年、2016年は社会と関わるより内に籠ってワークをすることが重点になっていた。ACIMに沿った「本当の私」を内側に認めることに、時間を使ってきたのかもしれない。
これからは、その私をもう少し社会で鍛える、磨く時期に入ってきているのかもしれないな~と思った。
相変わらずホーリースピリットからのメッセージというのは受け取られているのかどうかわからない。
アファメーション
状況わるくない。見方によってはパーフェクト。(好きなことば、今浮かんだ)