レッスン100-私の役割は救済計画に不可欠である。

2017-04-19

レッスン100-私の役割は救済計画に不可欠である。

レッスン100で「私の役割」とされ望まれているのは、「完璧な幸せ」=「私が完璧に幸せでいること」だ。

神の子が幸せであることが強いメッセージなのだ。

世界は私自身を投影したもの。私というカケラを通して幻想を見たもの。

だとすれば、私が笑顔でいて幸せでいることが、こだまして、それが世界だ。

だから、自分の中の最も神に近い部分(キリスト、真の自己)に共鳴し、今日一日、喜びに満ちて幸せでいよう、というのが(かなりざっくりだけど)レッスン100のワークだ。

ワークをして

思えば、くりかえし言っている気がするけど、自分に幸せをゆるすことにはすごく大きな抵抗があった。

幼い頃から厳しく暴力をふるう母親が怖くて、いつか見返してやりたいと憎しみを抱いて育った。一方で、親の期待に応えられないことに、自分はダメな子だと罪悪感も感じていた。

そして表面的には親に従ういい子でいながら、成長するにつれ反抗心から行動することで心は葛藤してますます瞑想し、自分の反抗心や怒りを社会や周りの他者に投影していたように思う。一頃流行った言葉でいえばアダルトチルドレン。意外とよくある話なのかもしれない。

そのすべての根っこは自己嫌悪であり、それは「神との分離」が実際起ったこと、自ら引き起こしたことだという誤解だ。

今やその誤解は解けた。

おっちょこちょいで思いこみが強いんだから~、という笑い話にすぎない。

私は幸せであってもいい。

いや、そうではなくて、

幸せであることが私のはたらきだ。

この世が私の心が投影された世界であるならば、幸せな世界は私の幸せにかかっている。

これは、ひきこもっている私の妄想だろうか。

世界のことはさておき、まず、今日の私は幸せでいよう。

いいことがあれば   ○  ⇒ 幸せ

よくないことがあれば ×  ⇒ 不幸せ

このループから私が抜け出せることはあるかな?

いいことがあろうと         ○ ⇒

よくない(不都合な)ことがあろうと × ⇒ 常に幸せ

よくない(不都合な)ことは実際に在ることではない、赦すべきことだ。

これを、かなりリアルなこのゲンジツワールドで、それだけいつも覚えていられるかな?

身体も脳もエゴの支配下で作られたものだというのに、私たちがそこから脱して、神と聖霊の考え方に完全に移行することができるのだろうか。

それにはこの幻想の世の一生があと何回必要だろうか。

でも、その旅は始まっている。その道すがら必要なものはすべて与えられている。

そしてナビゲーターは聖霊だ。

だから、今この与えられたチャンスを活かそう、と思う。