レッスン79-問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。
2017-02-11
ワークを再開。レッスン79-問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。
2ヶ月のブランクを経て、ACIMワークを再開した。一昨日のこと。
やれやれ。小さな一歩。
レッスン79は、昨年の12月にワークをしていたもの。そこから再び、はじめの一歩、だ。
私たちはこの世で自分にとって特別な、様々な問題を抱えているかに見えるけど、ACIMレッスン79は、それは間違いで、「分離という問題が事実上ただ一つの問題であり、それはすでに解決されている。」という。
なぜなら、分離は勘ちがいであり、私たちは今も神とともに在るから。そして、ただ分離した結果乗じたエゴが実際には存在していない問題をあるかのごとく見せているだけだから。そこを理解して、正しく見れば、そもそも問題などありはしない、のだ。
しかし、私たちは、そうとは認識していないので、次々と現れるかに見える、表面上の問題に立ち向かうことに忙しく、根本は一向に変わらない。問題は未解決のまま。たとえ答えが与えられても、その妥当性がわからないから解決できない。
そして、問題がたくさんあるように見える「この複雑さはすべて、問題を認識しないことによって、それが解決されないようにするための必死の試みにほかならない」という。
レッスン79では、聖霊に「問題は何なのかを尋ね、答えを待つ。」「それから、その解決法を求める。」
改めて、自分の表面上の問題を超えて、それを生み出している本質の構造を理解することによって、問題はすでに解決済のはずだとの理解に近づくことが、このワークの目的だ。
もちろん、すぐには問題を手放せるわけではないが、「必要なことは、あなたが自分の問題だと思っているものの実在性について、いくらかでも疑ってみることだけである。」と、ある。
エゴが怯えている?
私の場合は、50代フリーランスで経済的にとても不安定なことや、いずれ来るだろう高齢の母の健康上の問題や別れに、恐怖を感じていた。これは、この世でこの体で生きている私の意識が「問題」だと感じていることだ。
レッスン79のワークをしてみて感じたのは、私のエゴが怯えている、ということだった。これが今の私の「問題」なのか…?
ワークとして心の内面に意識を向けたら、エゴの怖れ、について、以下のような思いが流れるように出てきた。
エゴは、自分と思って認識しているものが溶けていくような不安感を持っている。
エゴの言い分は、私のACIM行動について、エゴの管理下でのみ行われるべきものだと。エゴが態勢を整えて、それがある程度頑丈だと感じられる時だけ、許可される、と。
私がなかなかワークを再開できなかったのは、こうしたエゴの邪魔があったのかな(すごく言い訳っぽいけど)?
つまり私は、ACIM勉強しているつもりだったけど、聖霊の導きより、エゴに依拠しているということだな~
ワークから得た解決方法
そして、その解決方法は?と心に尋ねてみたら、「エゴの態勢が崩れ、『やりたくない』『近づけない』と思う時こそ、聖霊の声を聴くための瞑想ワークや、ACIMワークをすること」という答えが返ってきた。
ACIMをちゃんとやるのだ、と過度にマネジメントしようとしないこと、とも。
エゴは聖霊の影響が強くなって、コントロール力を失うこと、自分が溶けていくことを恐れ、内向きにガードを固めている、ようだ。その地位を確固たるものにするために、「問題」を信じることをおすすめしているそうだ。
「世界とは刺激である」…これはエゴの見方。
「世界とは平穏・平和である」…これは聖霊の見方。
どちらを選ぶのも自由だけど、問題山積と頭を抱えなくてもいい、平穏だと認識してもいいのだ。選んだ世界に「私の」をつけてみる。
…私の世界は平穏・平和である。
今日のワークの行くべきところに行けたのかどうかわからないけど、久しぶりのワークで出てきたのは、こんな感じだった。
そして、「図書館で予約していてようやく到着した本が役に立つかも?」ってインスピレーションを得た。ほんとかな、どうかな?