レッスン77-私には奇跡を受け取る資格がある。

2016-12-08

東京の冬の空

12月初旬の昼。空が青く澄んでいる。この空は冬の空だ。

高3の頃、初めて受験で冬の東京の空を見て、びっくりしたことを思い出した。私の故郷の北陸では、冬は雪が降るし晴れの日も、どんよりと薄グレーの空だった。

冬にこんなにお日さまが出て、ピカピカした光が届くなんて、なるほど「表日本」というわけだ。すごいな~、と思った記憶がある。

それから、東京は冬が最高、と思っている。

一方で、春が来る喜びはぼんやりとしている。北陸は冬に寒かった分、春の訪れとその気配が最高なのだ。東京の冬、北陸の春は日本の四季でもとくに好きだ。…気づいたら、窓から外を見て、とりとめないことを書いてた。

レッスン77-私には奇跡を受け取る資格がある。

さて、ようやく一昨日と昨日、久しぶりにワークをした。

レッスン77-私には奇跡を受け取る資格がある。

ACIMでいう「奇跡」とは、奇跡的なことが起った時に用いる、あのマジカルなパワーのようなものではない。幻想から目覚めた時おのずと現れる世界、ものの見方のようなもの。

と言っても、私自身わかったような、わからないようなで、奇跡を定義づけしたりできるほどには理解できてない。

わからないから、やっているのか。わからないのに、やっているのか。わからないけど、わかっているから、やっているのか。ようわからんが。

この長い方のワークでは、私には奇跡を受け取る資格があると、自信をもって自分自身に教えることから始める。…(中略)そして、

自分の要請は聞きいれられたという確信が訪れるのを静かに待つ

(中略)あなたは自分が求めている確信を受け取るであろう。

これを行うとき、あなたは実際には何を何を求めているわけでもない。否定しようのない事実を述べているだけである。

と心強い。

短いワークでは、「私には奇跡を受け取る資格がある」と頻繁に言い、この事実を思い出す。

あなたは自分に頼って奇跡を見つけようとしてはいないのだから、あなたがそれを求めるときにはいつでも充分にそれを受け取る資格がある。

と説明がある。この文言も「深い」と思う。

ただ 在ることに 自信をもて

一昨日のワークで、「私には奇跡を受け取る資格がある」と言い、要請が聞きいれられたという確信を待つ、その短い瞑想ワークをして感じたのは(このワークの本題と合っているのかずれているのかわからないけど)、

「自信をもて」ということだった。

何かしらから

「自信をもて」と言われた気がしたのだ。

~あなた(私のこと)は、パソコンに向かって猫背になって、いろんなものをはじいている。

自信をもて。

ただ(あなたが)在ることに 自信をもて。~

こう言われた気がした。

今の私の場合はそこから、なのかな?

ここまで書いて、ふと思い出したのは、昨晩のこと。

仕事でお世話になっている方とともに、元大手広告代理店の方々で作った会社の設立3周年パーティに伺った。同行した方以外は初対面で、皆さん、女性はキラキラして有能で美しく男性は立派なビジネスパーソンに見えた。気後れしてしまった。

もともと人見知り。世のトレンドも知らないし気のきいた話もできなくて、とにかく口角を微妙に上げて話される人に相槌をして…敵意のないことをアピールすることに専心してた。

その時「私って、だめだな。とても一般の会社とかではやってけない」と思ったのだった。

とくに、一人でいる時には、自信がないとも思ってないけど、人前では社会に迎合しがちになってしまう性質は子どもの頃から。

○○ができるから自信が持てる。○○がいいから自信が持てる。○○を持っているから自信が持てる。

私が持ってきた「自信」というのは、そういう社会的ツールみたいなものだったかもしれない、と改めて思う。

ああいう時、レッスン77を思い出し奇跡を求めればよかったのだ、とも、今思いついた。奇跡を求めることが習慣化したらいい。

ワークに合っているかどうかわからないけど、以上はレッスン77を巡って、思った雑感。

ただ自分が在ることに常に自信をもてるようになったら、それはすごいなぁ、とも思う。

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