レッスン70-私の救済は私の中から訪れる。

2016-10-15

五本指くつ下デビュー

先日わが家にお泊りした友人から、五本指くつ下が送られてきてた。友人が履いていたのを、私が興味深げに見ていたからかな?

ワンポイントのアクセントが、こどものくつ下みたいでかわいい。

「五本指のくつ下は初めのうちは面倒ですが、慣れると足が気持ちよく、体にもよいそうなので、騙されたと思って使ってみてください」とのメッセージが添えられている。

ありがとう♪

 

さっそく履いてみる。妙な感覚。足の各指が独立宣言するみたいだ。

ひとり暮らし&フリーランスという、私のせま~い関心とルーティンの中で生きていると、その範囲の外にあるよいものに出会いづらくなる。

知らないものは知らないもの。意識の外にあるから見えない。

機会があってだれかから教わるか、自分の枠を自ら出て動かないと出会えないんだ…と改めて思った。とくに歳を重ねてからは、苦手や興味ないことにわざわざ出ていくことはほとんどなくなった。

それが楽で自然でいいこと、と、そうでないことと…。

レッスン70―私の救済は私の中から訪れる

さて、レッスン70の主題概念は、

私の救済は私の中から訪れる。

まちがった罪悪感が自分の心の中にあるのだから、それをとりなす救済も同じ心の中にある、とする。

これは私には、わりとわかりやすかった。

「救済」ということばの定義が理解できているわけではないけれど、怒りや不安、恨みなどの負の感情から解放されて幸せと安心、豊かさを感じることだとすると、

何からの外的環境が私たちの幸福感を約束するわけではないということになる。また何らかの外的環境が不幸をもたらすわけでもない。

すべてが自分の心次第だ。これをワークブックは

今日の概念は、あなたを宇宙の責任者の座に据える。

と表現している。

実相と自分の間の雲を払うことによって、かぎりない愛と光を受け取っていいのだ。

自らが置いた雲を払うか否かは、私次第なのだ。

過去、救済を求めたことのある外的なもの

このワークではまず過去に自分が「救済を求めたことのある外的なものごとを思い出すようにする。」とある。

私の場合は、

お店(過去に小さなお店を開店したが、1年半しか続かず)や恋愛・結婚、資格(カウンセラーや色彩他資格あり)、見た目、異性を引きつける若さ・魅力、占い(手相占いの会社に所属して占い師をしていた期間がある)、裕福さなどが浮かんだ。

そして、この主題概念を確認したあと、レッスン70でも「私たちは再びあなたの中にある光に到達しようと試みる」とある。

今回こそはまばゆい光を見たいと思ったけど、このワークをやった1回目の13日はだめ(夜はワーク自体できず)。

再び自分の中にある光へ向かうも“失敗”

昨日も朝は十分な時間がとれなかったが、夜、明かりを消してじっくりやってみることにした

前ワークと同様、光は雲を通りぬけた向こう側にあるから、雲を通り抜けるよう指示がある。

目をつむって心を静めると、その日目にしたテレビの場面やブログの記事、春に母と行ったカフェの場面だったり、もっと若い頃の人生の一こまだったり、いろんな場面(雑念)が続いた。これは未来?と思うような場面も浮かぶ。これが私と光を阻む雲のかたちだ。

なんとか光に到達したいと、いろんな場面が浮かぶたびに、

「消えていく姿、消えていく姿、ありがとうございます」と心の中で唱えて手放すようにして、聖霊さん(さん付けすべきか否か迷う)に「どうか光のもとに連れて行ってほしい」とお願いした。

へんな表現だけど、これまで経験したことがある時間や空間がぜんぶ、キュッとコンソメスープのキューブみたいに小さく小さく堅い物質に圧縮された気がした。

浮かんでくるいろんな場面をたくさんたくさんやり過ごしたけど、光には到達できず。

気づいたら、残っていたのは、不安とキョーフ感だった。

最近新しくいただけた月末までの急ぎの仕事、今の私にはとってもありがたい。感謝だ。一方で、どう見積もっても終えられそうにない、どうしよう?と不安に思っていたのだ。それが最終的に残って、払しょくできなかったのだ。

いろいろな場面をゲンジツではないとやり過ごし手放したあと、最後に目先の不安が残った。これもまたゲンジツではない。だけど、私の不安感がそれをリアルにしてしまっていた。

目を開けたら45分経っていた。

これが今の私なんだな~と思った。

でも得るものがなかったわけではない。

自分の心の深みに降りていくと、自分のこだわっていることや気がかりなことなど、気づくことが多い。

一巡目のワークの時は、先に進みたいという気持ちが先行していたけど、今は、急がなくていいと前よりゆったりした気持ちでできているから、その分気持ちにもゆとりが持てている気がする。

不安やいらいら、罪悪感はいっぺんには消えるものではないけれど、玉ねぎの皮むきと同じと心得て、少しずつ少しずつやっていくつもりだ。