2016-10-11
「愛は不満を抱かない」―シンプルなエゴの解体法
このレッスンは、私がACIMを知るきっかけになった『神の使者』で、主人公のゲイリーを導くアサンディッド・マスター、アーテンが「シンプルなエゴの解体法があるんだよ。」と、紹介していることから、印象に残っているレッスンでもある。
アーテンは、ゲイリーに「『ワークブック』のレッスンを文字通り正確に実行したら、Jがその身体の中にいたとき実行したように、その原理を毎日の生活に応用したら、どうなるだろうね?」と、レッスン68を勧めている。
不平不満を抱いているということは、すなわち実際にはありえない幻のゲンジツの方をリアルだと見ているということだ。
幻想の世界 | エゴの見方 | 私たちは肉体、限界ある存在 | 罪と恐怖 | 恐ろしい神 |
実相の世界 | 聖霊の見方 | 私たちは神の延長、永遠の存在 | 愛と平和 | 愛し包み込む神 |
この2つの世界の中で、不満を見るということは幻想の世界を強めていることだ。
「不満を抱く者たちは必ず罪悪感に苛まれ、赦す者たちは必ず平安を見出す。」
でも不満なんて日常的なことで、私たちは「いやな雨だね」とか「ずいぶん蒸し暑いね」などと「お天気が良くないこと」を挨拶がわりにしているし、グチを言い合うことでお互いなぐさめあったりしている。それだけ日常的なものだから、簡単になくすことはむずかしいようにも思える。
だけど、ACIM、レッスン68は、
「あなたは、自分が不満を手放せるとは思わないかもしれない。けれども、それは単に動機の問題である。」と言う。
わたしは、内弁慶で人からは、あたりがやわらかいと言われるけど、実際には満足できるストライクゾーンが狭く、いわゆる自己チューだと認識している。だから、ひとりで仕事をして、ひとりで暮らしているのだ、結果的に。で、それが楽で性にも合っていると思っている。
そうやって暮らしていると、日常生活でも、不満らしい不満はない。だけど、それは、私が狭い自分の快適ゾーンから出ようとしていないだけで、不満を抱かない性格になれているわけではないのだ。
不満を抱くことのデメリットをACIMからこうして理屈で学んだからには、なるたけ不満を抱かないようにしたいし、もし不満を持ったら、おいおい、まちがった見方をしているぞ、と自覚できるようになりたい。
連休中友だちが泊りに来たときの、私のキンチョー
三連休だった初日、金沢に住んでいる三十年来の友人が東京に用事があり、私の家に泊ることになった。
当日は夜遅くまでおしゃべり、次の日もゆっくり朝ごはんを食べながら、仕事のこと、健康のこと、家族のこと、芸能人や政治の話など、とりとめのない話をたくさんしたり、買物したりと、とっても楽しかった。
ただ、私って…やはり人と隔てがある人間だ…と思ったのは、彼女が泊ることになってからのキンチョー感だ。今の住まいに引っ越してから十数年、家族の他に人を泊めたことがない。つまりそれくらいの距離感のつきあいしか、したことがないのだ。
大好きな親しい友が来るのにもかかわらず、「さて、どう迎えたらいいんだろう」とテンパってしまった。ふだん、自分だけだからあまり気にしていなかったけれど、和室の畳は古くなり赤みがかっている…ということで、なんと畳の表替えから準備スタート。
同じように他人の目で見ると、ずっと使っている布のローソファも、どうも古くて汚らしい、この際、ソファも買い替えよう。
お風呂の椅子も、ここに引っ越してから買い替えてない。ならば、これも。トイレのペーパーホルダーも。スリッパも。台所のまな板置きも…と、何やら大ごとになってしまった。きれいなはずのシーツや毛布も改めて洗濯し、カーテンも洗濯して…。
私は朝は食べないが、ひとりで食べさせるわけにはいかないだろう。メニュー何にしよう?朝食用のワンプレートのお皿があったほうが盛りつけやすいんじゃ?そういえばスープストックの海老のスープ、おいしかった。あれも加えようか…
当日はあるセミナーを受ける予定だったけど、そんな余裕はない、そうじが間に合わないと休み、照明器具を取り外して掃除したり…。
普通の人は、親しい友人が泊る、ということに対して、ここまでキンチョーして思いをめぐらし準備するのだろうか。…とは言っても、それだけやっても質素には変わりないんだけど(^_^;)
彼女が私のこの動きを知ったら、「そんなにタイヘンなんだったら、い~よ、無理しなくても、別のところ探すから」と言っただろうに。
当日、駅に迎えに行く頃にはへとへとになってた。
でも、私は頼ってもらえてうれしかったし、家でだらだら“女子トーク”できて楽しかった。質素なわが家、ゆったりくつろげる空間ではなかったかもしれないけど、来てもらえてよかったと思った。
ただ、人に身構える自分の性質を再認識し、隔てをなくして人とつながることが私には人一倍ハードルが高いことなのかもしれない、と改めて感じたのだった。
外界にはつい過剰反応で合わせてしまい“いい人”になってしまう。でも、元々がわがままだから疲れてしまい続かなくて、ひとりになりたがる、というパターンをずっと繰り返している気がする。
もはや性格を直そうとは思わないけど、このレッスン68「愛は不満を抱かない。」は、常に意識して、少しずつでも身につけたい。