311~320(11.最後の審判とは何か)

ACIMワークブック315-私の兄弟が与える贈り物はすべて、私にも属する。

2020-01-08

私が兄弟に感謝の気持ちを差し出すことができますように

私は一日中、自分が思い描ける一切の価値を凌駕するほどの贈り物によって、祝福されている。ひとりの兄弟がもうひとりに向かって微笑み、私のこころは喜ぶ。誰かが感謝や慈しみの言葉を語り、私の心はこの贈り物を受け取って自分のものとする。」(W-pⅡ.315:1.2-4) (さらに…)

ACIMワークブック314-私は過去とは違った未来を求める。

2020-01-02

2020年リフレッシュスタートのレッスン

世界の新しい知覚の中から、過去とはまったく異なる未来がやってくる。」(W-pⅡ.314:1.1) (さらに…)

ACIMワークブック313-新しい知覚が私に訪れますように。

2019-12-31

新しい知覚が訪れますように

キリストの目は赦された世界を眺めます。彼の視覚の中では、世界のすべての罪が赦されています。彼の視覚の中では、世界のすべての罪が赦されています。彼は自らが眺めるものの中にまったく罪を見ないからです。」(W-pⅡ.313:1.4-5) (さらに…)

ACIMワークブック312-私はあらゆるものごとを、自分が望む通りのものとして見る。

2019-12-27

知覚は判断に従う

知覚は判断に従う。すでに判断したからこそ、私たちは自分が見たいと思ったものを見る。」(W-pⅡ.312:1.1-2) (さらに…)

ACIMワークブック311-私はあらゆるものごとを、自分が望む通りのものとして判断する。

2019-12-24

判断せずに生きる…?ん?あまり考えないことにしよう

判断というものは、真理から身を守る防衛の武器として作り出された。それは判断されている対象を分離させ、あたかも別個のもののように引き離す。それからそれを、あなたが望む通りのものに作り上げる。 (さらに…)

ACIMワークブック第Ⅱ部‐10.最後の審判とは何か

2019-12-23

最後の審判とは訂正という贈り物

「最後の審判」は、この間テキスト解説本『Journey through the Text of A Course in Miracle(JTTA)』2章でも見たところだ。 (さらに…)

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