奇跡講座ダイアリー

ACIMレッスン239-私の父の栄光は、私の栄光である。

2019-01-29

まんだらぬりえ

日曜日、月1の色彩ワークショップで、持ち回りでファシリテーター役をやっているが、今回は私の番。

それで「マンダラ塗り絵」をやった(「まんだらぬりえ」とひらがなで書くほうがしっくりくる)。

何のことはない。本からコピーしたマンダラ下絵の中から気に入ったものを選んで塗るだけ。

本は10年以上前に買っていたのだけど一度も使ったことはなかったのだ。

マンダラとはユング心理学でも出てくる概念。自己(自我ではなく本来の自己のようなもの)を投影したものとみる。これを塗って仕上げていく過程で満たされ癒されていくのだという。

ワークショップでは近況をおしゃべりしながら塗った。選ぶ図柄、選ぶ色が違うから、それぞれちがうマンダラに仕上がっておもしろかった。

これで勢いづいたのか、昨晩小さくプリントし直し塗り絵した。

何にも考えずただ塗るだけ。配色もテキトーだ。

意外と時間がかかる。40分位かかったかもしれない。もっと単純な図柄にすればよかった。

できた塗り絵をダイソーで買った100円額縁に入れてキャビネット棚の上に置いた。

少し遠目に見ると塗っていた時とはまた違う印象になる。

文字どおり「こころ模様」なのかな。ちがうパターンも塗ってみたくなった。

ACIMワーク239‐私の父の栄光は、私の栄光である。

神がご自身の栄光を分かち合う人々の中に、わずかでも罪や罪悪感を見ることなどできるだろうか。」(L239-1-3)

神が、わが子は創造されたときのままであると知っており、わが子をまったく変わりなく永久に愛しているのなら、私たちがそこに含まれないということがあるだろうか。」(L239-1-4)

この反語が力強い。

気づけば、自分はダメ人間だと罪悪感を感じてしまっている私は、それでもやはり罪悪感を背負いながらも慰められる。

私が罪悪感を感じているのは中途半端だからというのもある。

自分が思うことをそれが共感を得られるかどうかに関わらず、表すことができていないから。

yesであれnoであれ、尊敬されようが軽蔑されようが、正しいかどうかもさておき、怖れなく表明できたらもっと自信が持てるだろう。

そういう意味で過激なことを言ってもシレっとしているホリエモンとか密かに憧れる。

「この世は幻想」とするACIMについて話そうとすると、すべての人を敵に回すかのような底知れぬ恐怖感がある。

でも、私はほんとうはどうありたいか。

ほんとうは何をしたいのか。

そう考えたら、この体をもった今回の人生で、自分の思いに沿って矢面に立ちたいのだな~と思う。それがどういうかたちかはわからないけれど。

だとしたら…

自分のアンテナに従って、少しでも反応したことをやってみる。

また人に喜んでもらえそうなことも、やってみる。

…ということかなぁ。

ACIMレッスン238-救済のすべてが、私の決断にかかっている。

2019-01-24

あ゛~、みんなペラペラだよぅ

もてなし英語講座の2回目に出て、いきなりビビってしまった。

みんなものすごーくペラペラだ!!

あ゛~、私、場違いなこと来ちゃってるよぅ (;゜д゜)

だいたい私より上手だろうとは思っていたけど、こんなにみ~んながペラペラだとは!想定外だった。

現役の英語の先生や仕事で英語を使っている人などが参加されているらしい。こりゃ「中級」というより「上級」だな。

先生は第一言語ではないけれどもちろんペラペラで英語で自己紹介。その間もあるポイントでみんながどっと笑ったりしていたけど、私は9割方聞き取れず、

な、なんでみんな笑っているのー?(o’ω’o)?

あわあわっ、

見方を変えれば上達のチャンスでもあるのだけど、大いに怯えてしまった。

二人組になって自己紹介し合い、そのパートナーの紹介をみんなに発表している途中で時間になって、私とパートナーさんは次回にということになったけど、大丈夫かな?いやダメだ(>_<)

何を怯えているのか。

おそらく下手な自分をさらしてエゴが傷つくのが嫌なんだ。実力をそのまんま出すだけだから身構えることもないのにね。

もうひとつ。参加している方は、一様に外交的でコミュニケーションスキルが高く好奇心旺盛(に見える)。その場のテンションにもついていけてないんだ。

自分がネガティブ志向な内向型人間だと思い知らされる。

ありのまんまでぼーっとしていていいか。それとも頑張ってテンションあげるべきなのか。

そういうのが久しぶりで尻込みしたくなる。

あと6回ある。

旅の恥はかき捨てくらいの気持ちで挑めばいいんだろうな。

ひきこもりが社会に出るリハビリみたいなものか。

ACIMワーク238‐救済のすべてが、私の決断にかかっている。

私は物心ついた頃から、基本怯えているのかもしれない。

まず母に怯え、その先に現れた世の中に怯えた。

でも、ほどなく“人畜無害”だというペルソナ(仮面)を付けて出ていくことを憶え、それは学生時代も社会人になってからもうまく機能した。

私は見た目穏やかでそう自己主張しない(箸にも棒にもかからない)、しっかりはしていないけどまあまあまじめな人としてやれてきた(実際はどうであれ)。

仕事をしなくなり世の中に怯えていた自分の感じを思い出した。

これが私ですよとわかりやすく見せるべき自分を失った感じ。

そしてもともと自信があったわけではないが、社会的自己評価が下がった。

そうなのはどうでもいいと思っているけど、それは私が社会と接してないから意識しなくてよかっただけなんだ。

独身で子供もなく、そして仕事もなく…?

じゃああなたは何をしている人なの? 誰なの?

こういう怯えはすべてエゴの怯えだ。

それが浮かんできたときに、そんなものは幻想だと一つずつ手放していけばいいんだろう。

自分が自分をどう捉えるか。それは私自身の決断にかかっている。

私は大丈夫だ。

その根拠は何か。

だから今日も再び、私たちは動きを止めて、父がどれほど私たちを愛しているのかを考えてみよう。」(L238-2-1)

また、神の愛によって創造された神の子は、神にとってどれほど愛しい存在であり続けるかということや、神の愛は神の子の中で完全になるということについて、考えてみよう。」(L238-2-2)

ブログを始めて3年経った

2019-01-22

お~、丸3年

さっきふと思ってこのブログの最初の日を見てみたら、2016年1月20だった。

お~、丸3年経ってる!

そんなに頻繁に更新しているわけではないし、誰かに向けて有益な情報が届けられているわけでもない。

けどけど、私にとっては3年か~としみじみする。

ブログを作りたいとノートに呟いていたのは、たしか2015年の春ごろ。2015年中にはACIMワークが終わりそうだと思い、その後ACIMとつながり自己表現できるものが何か欲しいと思った。

ACIMについて感じたことを文章化していくことが次の学びのステップだと思ったのだ。

だけどそれから実際に始めるまでに1年近くかかった。

その年の6月父が亡くなり自分を取り巻く世界が大きく変わったし、その頃はまだ仕事もしていた。無料ブログサービスがいいのかWordpressがいいのか、どのテンプレートが自分の気分に合うかなどでもかなり足踏みしていた。

何より怖さで固まっていた。

これまでの人生で少数派意見を表明したことはない。自分でもよくわからないものをたとえ実名ではないにせよ、どう書いたらいいのか。まず、どんなスタンスで書くの?

誰かに見られたら?(ブログは見てもらうためのものだけど)

あるいは誰にも見られなかったら?

まだ“ちゃんと”理解できているわけではないし。。

頭おかしいやつと批判されたらどうしよう。。

などなど。

…自意識過剰って疲れる。

人生で「これだ」と思えるもの

実際書いてみると、パソコン画面の外に誰かがいるってことはほどなく意識されなくなり、書くことによって心と頭が整理されてよいことがわかった。

これがただノートにメモする方法だったら逆に続かないかもしれない。

ただブログを更新するということだけでも、私にとってはおおごとだし、私にとっては有益だった。

結局ACIMワークをもう一度やることになり、ただそれに付随して書いているだけで、本当はもっとACIMについていろいろ掘り下げたり感じたりしたかったけど、そういったそもそものことはできず。

でも、まあ、いいのだ。

昔、本多静六さんの本を読んで、「価値のある文書を毎日、原稿用紙1枚(14行32字詰め)以上書く」ということを25歳の時から習慣にしていると知り、すごいな~と思った。

本多静六博士はその結果生涯で376冊もの本を書いている。

「価値のある文書」というところが、私の場合はつらいところだけど、でもいい。

自分のA Couese in Miraclesのスタンプカード的に重なっていく感じがあって、気休めになるから。

何かこれだ、と思えるものが人生にほしいとずっと思っていて、それが得られてない感じがずっとあった。が、今は「ACIM」がそれだと思える。

そういうものに出会えたと思えていることが、幸せだ。

ACIMレッスン237-私は今、神が創造したままの私でありたい。

2019-01-20

日曜の昼に好物を食べてしあわせ

1月も半ばをすぎた日曜日。ようやく2019年に立てた気がしている。窓から入る日差しが眩しい。

お昼は好物のトムヤムクンヌードル。

本格的な酸っぱ辛さがやみつきなのだ。

食べ物をストックとしておけない質で、あればすぐ食べちゃう。あまり体に良さげとも思えないからたまにしか買わない。

日曜の昼のぼわんとした時間にこのちょっぴりジャンクなお気に入りを食べるのは、ささやかな至福だった。

スープまで全部飲み終えた後、栄養表示に目が行った。「塩分5.0g」とある。このカップヌードル1個で5gとは!おいしくてもスープは残しておくべきか。。

デザートは炊飯ジャーで作った蒸したてのさつまいも。

炊飯ジャーで簡単にできると知ってから、できたてのあつあつをふーふー言いながら食べるのが楽しみになっている。

ほくほくというよりねっとりだったが、甘くておいしかった。

残りは部屋の隅で干し芋に。水分が飛んで一段と甘くなる。

これも完成まで取っておけずつまみ食いしちゃう可能性大だけど。

ACIMワーク237‐私は今、神が創造したままの私でありたい。

結局のところ私はいつも同じようなことを訴えている。

ACIMを歩みたいが聖霊の導きとエゴの間で葛藤があること。

そもそも聖霊の声がちゃんとキャッチできているかわからないこと。

ACIMの理解の仕方も独りよがりで間違っているんじゃ…?と。

そんなことをずっと言いながらも、ACIMから離れずにワークブックをしていればいずれACIMの思考が浸透して自然に前進できているんじゃないかとも期待している。

実際はどうなっているんだろう。自分のことは客観視できない。

世間の目で見たら、成長どころか大いなる堕落だとはわかる。のだけど。

そんな私に、レッスン237の主題概念は素直に響いた。

私は今、神が創造したままの私でありたい。

そう、そうなんだ。

私はACIMの道のどこらへんにいるかな。

道しるべは聖霊さんの声なのだけど、それに従ったり耳栓をしていたりの私は迷子になったりしていないだろうか。

父なる神が私に語る救済の知らせを、世界に伝えよう。」(L237-1-3)

ここが今回このレッスンを読んでもっとも惹かれたところ。

私が自分の感じていることをもっと素直に語らなければ、私が見る世界も変わらない。

私のこれまでの人生では、“世間恐怖症”で素の自分を出すのをとても恐れてきた。

自分を出さないでいるのは楽どころか、逆にとてもエネルギーを要した。

もういい歳だし余計なエネルギーはない。

もっと素直に自分を表現したら?

それが「神が創造したままの私」だったら、とっても素敵なことなんじゃないか、と思う。

ACIMレッスン236-私は、自分だけが統治できる自分の心を統治する。

2019-01-18

『神の使者』をまた初めから

きのう掃除をし始めたら、気づいたら大掃除になっていた。

いつもわりとまめに掃除しているし引っ越してまだ7ヶ月、不要なものもないと思っていたけれど、知らないうちに未処理物、未分類物がここかしこに溜まっていて重たくなっていた。

物をこれ以上増やすまじと思うけど、気づくと増えてるんだよな~

ようやく世間の人の年末大掃除の頃にたどり着いたのかもしれない。

遅っ、

相変わらずだけど。

夜には『神の使者』を再読し始めた。この本は古いバージョンの本を3冊持っていてそのうちの1冊が日頃読む用(あとの2冊は予備)。

また、アーテンとパーサがゲイリーの前に現れたところから。

何かの変わり目にはつい読みたくなるのだ。『奇跡講座(ACIM)』を学ぶきっかけとなった本だから、その動機みたいなものを確認したくなるのかもしれない。

私の『神の使者』は付箋とマーカーだらけだ。

黙読しながらマーカーを引いた部分は音読するのが自分の中での流行りになっていて、そうやっているとこの分厚い本を読み終えるまでやたら時間がかかってしまう。そのうちに日常にまみれて中断してしまうこともままある。

ここは戻りたくなるところ。だからそれでいいのかもしれない。

私はACIMというより『神の使者』を信じている(というかすがっている)のかもしれないと思う。

ACIMワーク236‐私は、自分だけが統治できる自分の心を統治する。

L236で気になったところ。

今日、私は心の働きを聖霊に差し出し、聖霊がふさわしいと思うものに使ってもらう。」(L236-1-6)

そのようにして、自分の心を自由にし、神の意志を行えるようにする。」(L236-1-8)

私はやっぱり聖霊さんのメッセージが受け取れているかどうかわからない。

いや、受け取れているけれど聞きたくないものには耳をふさいでいるのかもしれない。だから、わからないと言っている気もする。

耳元で大声でくりかえし叫んでいるのに、私がただぼんやりしているのだとしたら、聖霊さんは呆れているのではないだろうか。

もう私をサポートするのに嫌気がさしたりしているのではないか。不安だ。

自分のエゴのものさしで確証が得られないことは受け取りがたい。

エゴのものさしと聖霊のものさしはまったく別だから、私は未だにその二つの間で揺れている。

少しずつでもこのコースの歩みを進めたい。

こう書いた時、「そのためには気づいたことをやる」というフレーズが頭に浮かんだ。

と同時に、怖っと感じた。

ACIMレッスン235-私が救われることが、慈悲深い神の意志である。

2019-01-17

『奇跡講座』に目標はいらない!?

土曜日のダイアリーに英会話教室で作った「今年の抱負(目標)」を書いたが、あとで「目標」という概念はやっぱり『奇跡講座(ACIM)』には重要ではないのかなと感じた。

「目標」とは欠けている状態から完璧へとめざす道すがらの指標で、やはりエゴからの発想だから。

たぶんすでに完璧であるということに気づくことが大事なんだろうな、聖霊さんの導きを得ながら。

だから、リラックスして恐怖感や罪悪感、攻撃や非難したい気持ちに気づいたらその幻想性を思い出して赦し手放し、思いつくことややりたいことがあったらその気持ちに従う、それでいいんじゃ…と。そう思った。

まぁ、それが難しいんだけど!

ついコントロールしたくなってコントロールはしきれないものの、何かせざるを得ない。それはエゴの性質だとは思うけど、体をもって生きている限りそこからまったくフリーになることは不可能なのかもしれない。

ACIMワーク235‐私が救われることが、慈悲深い神の意志である。

L235はとっても優しい。

私は過去に「自分は幸せになってはいけない」という自己暗示をかけたようで、無意識のうちに自分に似つかわしい不幸を求めていた。そして中年の転機といわれる40代半ばにそのことに気づいた。

気づいたらすぐその暗示が解けるというわけではないから、L235で、

私が為すべきことは、ただ、自分を傷つけるように思える物事を眺め、全き確信をもって、『私がこのことから救われることが、神の意志である』と言い、自分を安心させ、それらが消えてゆくのをじっと見ていることだけである。」(L235-1-1)

幸福だけが私に訪れているとわかるためには、私に対する父の意志は幸福だけだと憶えておくだけでよい。」(L235-1-2)

と言ってもらえると、そうなのだと心に沁みこませることができる。

富山ではなく私こそが家意識に執着していた

このワークをやっていたのは1/4~9だったが、そこで気づいたことがあった。

それは、故郷の富山は家意識が強くて苦手だと思っていたのだけど、実は家意識が強いのは私だということだ。

二人姉妹の長女で幼い頃から周りから「跡取り姉ちゃん」と呼ばれ家を継ぐことを期待されてきた。

婿を取るというかたちで結婚したが1年で離婚。「家」を維持できなかったことへの罪悪感とくやしさ?みたいな感情があるのだと気づいた。

「○○家」やその「○○代目」というのはエゴが神の替わりとして私たちに勧めている儀であり、いわば偽似神にすぎないと思う。

だけど私はそれに長らく執着してきたんだ。。

家意識が強い故郷が苦手なのではなく、そこでちゃんとできなかった自分を否が応でも意識させられる場所である故郷が、苦手なのだ。

前夜母が入院して帰京を延期したために、1月6日の晩、母といっしょにテレビで「ポツンと一軒家」という番組を見ていた。

その時に自分の中の「家」への執着に気づいた。どのシーンがきっかけかは忘れたけど。

もちろんこれは赦すべきことだ。

長く無意識化で醸造されてきたものでなかなか手放しがたいものだと思うけど。

エゴの家への執着を手放さなければ、本当の故郷である神の家に安住することはできないのだから。

おもてなし英語講座 初回

2019-01-16

おもてなし英語講座が始まった

帰省中に歯の詰め物が取れてしまっていたので、きのう直近でお世話になった旧居近く歯医者さんに行った。

15年住んだ街並みは懐かしかった。スーパーに寄ったら見慣れたお客さんの顔があって、ことスーパーに関してはまだ断然こっちのほうが落ち着くと思った。

よく使っていたけど今の住まいのスーパーでは見かけない、白だしを買ってショルダーバッグに放り込んで店を出た。

きのうは、区のおもてなし英語講座の初回でもあった。

初日はオリエンテーション。案内に「自己紹介のため30分の延長」とあった私は、てっきり英語で自己紹介するものと思い込み歯医者さんの後マクドナルドに寄って、英語での自己紹介文を四苦八苦して作ったが、日本語でだったので、ありゃ、と気が抜けた。

それでよかったんだけど。

第1回目は英会話にはまったく入らず、「外国人居住者が増加しているなか、いかに外国人コミュニティを盛り上げていけるか、多文化共生していけるか」というテーマの講義だった。

グループになって議論して、リーダー役になった人がグループの意見を発表した(初対面の方とこういうことするのがキンチョーする)。

私にとっては、ACIMの価値観を学びつつ自分がこの社会とどう折り合いをつけて生きていくか(ACIMの価値観というのも正しく学べているかわからないし)とのほうが大テーマで、正直そこまで気が回らないよーという気持ちだった。

でも、昨年末入管法の改正案が成立し今後5年間で最大34.5万人の外国人を受け入れることが見込まれているという。多文化共生というのは今度とっても大事なテーマになるだろう。

日本のこともっと知りたい

日本人同士で「あたりまえ」と思っていることは決してあたりまえではない。また日本人がなんとなく慣習的にやっていることで、理解できていないことも多い。

自己紹介のなかで「海外の方に神社とお寺のちがいを聞かれても説明できないから学びたい」と受講動機を語っておられた方がいたが、改めて問われると私も日本のこと文化にしても宗教にしても歴史にしても、よく知らないし説明もできない。

歳を重ねてきた今、そういうことも知っておきたいなと思った。

多層化する社会

世の中には、性別、年齢、職業、考え方、専門分野・関心、趣味、所得層、などなど、さまざまなレイヤー(層)があって、あるものに属したり属さなかったりしている。国籍はそのレイヤーの一つに過ぎないんじゃ?

そしてグローバル化が続くと、国というレイヤーより考え方や関心によって、人の近しい遠いが強くなっていくんじゃ…?

さらにそれによって世界のあり様もどんどん変化していくだろう。

でもやっぱり「国」が根底にあるのかな、

などととりとめもなく考えた。

My New Year Resolution (新年の抱負)

2019-01-12

2019年最初の英会話教室はMy New Year Resolution

おとといの新年最初の英会話講座。教室に入ると黒板に「My New Year Resolution」。横に日本語で「新年の抱負」とあった。

Resolutionは、たしか(問題などの)解決と習ったような気がするが、「抱負」にも使うのか。直訳すると「今年の課題」や「お題」みたいな意味なのかな。

先生は、

  • Get in shape(体調を整える)
  • Start eating healthier food(もっと健康的な食事を始める)
  • Give up smoking(タバコをやめる)
  • Spend less time on social media(snsに使う時間を短くする)

などなどたくさんの例を書いたプリントをくださった。裏面にも抱負の例がずらり。数えてみたら55コも例文があった。

「Eat vegetarian one day a week(週に一度はベジタリアンの食事をする)」などあまりにも具体的なものもあって、これはやはり「抱負」というよりは「目標」とか「やりたいこと」に近いんじゃ?

先生は、このリストの中で自分にも当てはまるものに○をつけて、それから、その下に自分のオリジナルのResolutionを5つ書きなさいとおっしゃった。

ACIM的に見れば、目標や課題は何かが欠けているとの発想の上に立つ。

本来の自分はすでに神の子として完璧なのだから、それに気づけばよいだけということになるだろうが、ここは英会話のクラス。具体的な目標を考える。(私は「新しい私」を祈りの祭壇に捧げており、ここでも矛盾しているが。)

先生はみんなの周りをまわって、それぞれの英訳をサポート。それから、一人ひとり発表となった。

こういう類のものは「さぁ、今年の目標を5コ挙げるぞ」と身構えてしまうと私のような完璧主義かつ怠け者タイプは逆にやりづらい。何でもいい、短時間に挙げよというほうがいいのかもしれない。

オリジナルの目標

そこで私が書いたのが、これ。7つになってしまった。

 Make up business system to earn money through Internet(インターネットを使った儲けのしくみを作りたい) 
  Be concerned about my mother's health (母の健康を気遣う)
  Learn Japanese modern history(日本の近代史を学びたい)
   Use my new personal computer well(新しいパソコンを使いこなせるようになりたい)
  Ageing gracefully(優雅に歳を重ねたい)
  Cure a symptom of frequent urination(頻尿を治したい)
  Make up my original picture book(自分で絵本を作りたい)

 

期せずして、今年の目標ができた

短時間で思いつくまま書きなぐった。心のままに書けたかもしれない。

のネットを使った収入のしくみづくりは、ずっと何年も前から思っていること。だけどサイトづくりを少しかじるだけで何にもできてない。

まず商品がない。またこれからシニア世代に入る私にネットを使ったことができるのか。(優先順位:高)

…「母の健康を気遣う」とは抽象的だけど。東京に戻ってきてから、黒ニンニクとお腹のハリを抑える薬ガスピタンと松山千春のCDを送ったら、喜んでくれた。(優先順位:高)

…歴史は男の人ばかり活躍している印象から、あまり興味がなかったけど、歳とると昔に意識が向く。黒船が来航したあたりからどう変わっていったのか、なぜ戦争せざるをえなかったのか知りたくなった。(優先順位:低)

…新しいノートパソコンを買ったけど使えてない。デスクトップ型パソコンのキーボードのほうが使いやすくて。でもやがてWindows7のサポートも終わることだし、使えるようになりたい。(優先順位:中)

…「Sucsessful aging」と書いていたら、先生が「gracefully」を使ったほうがいいと教えてくださった。抽象的だけど。(優先順位:中)

…⑤とギャップがあるけど、逆に⑤を満たすにはこれが大事ともいえる。若いころからトイレが近かったから慣れっこになり放置しているが、今年は改善したい。(優先順位:高)

…絵本の作り方の本も買ったことだし。そんな気概はないのだけど思いついて書いた。(優先順位:低)

 

英会話教室に出たら、期せずして今年の目標ができた。

7つ位だったら私でも覚えていられるかな。

その中で優先度高いのは3つだとわかったし。3つなら私でも覚えて…?実行できるかどうかは自信ないけど。覚書。

 

ACIMレッスン234-父よ、今日、再び私はあなたの子です。

2019-01-11

連続晴れ、乾燥注意報。うつ抜け?

東京は晴れ。乾燥注意報。

12月24日以降、雨や雪が観測されず明日も晴れ予想で、これは歴代3位の記録だとか。

私は東京の冬の空が好きだ。18の時初めて受験で2月の東京に来て、空が明るく澄んでいるのにびっくりしたのを、また思い出す。

あの時は父が付き添ってくれたのだった。

北陸の冬は日照時間も少なくセロトニンも出にくい。うつになりやすいと思う。

うつ…といえば、数年前とっても動きづらい時があって、メール1通出すにもエネルギーを溜めて頑張って出すといった時期があった。

医師に診てもらったことはないのだけど、あれはやはり抑うつ症状と言うのだろう。何年もちょいちょい動けなくなったいたから、いわゆる更年期と関係することか。

エネルギー不足は変わらないけど、それがすこーし回復している気がする。

外出した日は帰宅後2時間位動けないことも多かったけど、その時間が少しだけ短くなったような?

膨大なエネルギーを使う引っ越しなんて無理かと思っていたけど、それも何とかできたし。

更年期もそろそろ抜けようとしているのか。

もう少しアクティブになれたら…

ACIMワーク234‐父よ、今日再び私はあなたの子です。

レッスン234はちょうど年末年始やっていたワーク(一応やってた)。

父よ、今日、再び私はあなたの子です。

これは、自らのアイデンティティを高らかに宣言する主題概念であり、「私が私になる」というテーマだ。

去年からワークの終わりに「祈りの祭壇」をイメージして、そこにお願いというかたちではなく「自分の問題や目標や偶像を贈り物として祭壇に捧げる自分を想像する(『神の使者』13章より)」ということをしている。

そこで捧げているものの一つが「私の新しい人生」だった。あまりに漠然としていて、どう新しいのか自分でもわかっていないのだけど、そう捧げていた。

このワークをして、その「新しい人生」には、まずレッスン234の「私が私になる」(神の子としての自分になる)ということが不可欠で、それが先だと感じた。

常に、神の子なる自分を忘れないこと。

まあ、たいがい忘れているけれど。

1月3日のメモには、

「すべては私が見せているものである。

怒りの対象は、怒りではなく赦しを求めている。

赦しが出口だ。

挑発に乗らない。

怒らないこと自体が目的。」と書いてあった。

帰省後、数日過ぎて私も母もお互いに地が出て、リズムが合わなくていらいらしていたのだろう。(一人の時間が欲しい私は誰といても疲れてしまうのかもしれない)

私ってー、いる場所、いる時間、一緒にいる人たちによって、すぐに自分が誰だかわからなくなってしまう。

わからなくなっても、神の子だということだけ覚えていられたらいいのかもしれないが、そうはいかずエゴで固めた自分をどうにか思い出そうとあがく。

今も少しそう。しゃべればしゃべるほど、堕ちていく…気分の今。

まあ、ぼちぼちいこう。

2019年の東京生活スタート

2019-01-09

7日の昼すぎ東京の自宅に着いた。

母に着いたよ、と電話を入れたら、

「あんた、3日も遅く帰って…ちゃんと仕事あるがけ?心配やわ」と母。

最も痛いところを突かれ、かっとした私は、

「具合悪くなったお母さんのせいやにか!」と答え、それだけでは済まず、

「だいたいお母さん、あったまおかしいよ!入院した次の日お腹大丈夫?って聞いたら、腰痛いって言って。普通は、お腹のこと言うでしょ!良くなったとか、痛み取れたとか。」

と言い放ってしまった。

せっかくお正月を穏やかに過ごせたと思っていたのに…。暴言をぶつけてしまった。反論するにしても「あったまおかしよ」は余計だった。

攻撃を受けたように感じそれをかわすだけではなく、瞬時に戦闘モードに入ってしまったのだ。

その時は、神さまも聖霊さんも寄せつけなかった私。

は~、1年365日24時間の赦しには、まだ果てしなく遠いと思い知る。

近しい人ほど、感情を揺さぶられる。

ことに母には。

本当は、元気になってくれたことだけでありがたいはずなんだけど。

実家と東京の家では、自分のなかで稼働しているデバイス?ソフトウェア?がちがう気がする。切り替えて、そうそうここではこうだったと思いだすまでに少し時間が要る。

そして、多少出遅れたが、ようやく昨日から、私の2019年東京生活がスタートした。

頭でっかちなACIM学習に少しずつ実践が伴いますように。

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