141~150(復習Ⅳ)

復習Ⅳおわり-レッスン121~140

2017-09-25

レッスン121~140を復習する「復習Ⅳ」が修了。復習Ⅳのレッスン121~140の主題概念は下記のとおり(日本語は『奇跡講座ワークブック編』より)。

レッスン121を始めたのが6月21日だった。復習Ⅳをやり始めたのが8月26日。長かったな。

緩慢ながらこのダイアリーブログは、ACIMワークとACIMから離れてしまわない、ということには役立っている。こうして、主題概念を書き移すだけでも思い出すし。

復習Ⅳは、各々のレッスンを結ぶ次のような中心テーマがあった。

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

この考えを浸透させながら、赦しという概念を深めて、神が創造したままの自分に近づく素地づくりをしていたような気がする。

復習Ⅳの序文にあった「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を受け取りなさい」という点については、これがそうかな?と感じる日もあれば、まったく何も感じない日もあった。

それでも、朝と晩の小さな瞑想が習慣づけられると、偏った姿勢が日々正されるようで、自分が本当はだれか、思い出しやすくなって、そうすると無意味な罪悪感が少なくなり、その分幸福感を感じられるようになった気がする。

さわやかな秋…勉強を深めるのにいい季節だな。

 日本語 英語
121 赦しが幸せへの鍵である。121 Forgiveness is the key to happiness.
122 赦しは、私が望むすべてのを与えてくれる。122  Forgiveness offers everything I want.
123 私は、父が贈り物を与えてくれたことに感謝する。123 I thank my Father for His gifts to me.

124

 私が神とひとつであることを、思い出せますように。124 Let me remember I am one with God.
125 静けさの中で、今日、私は神の言葉を受け入れる。125 In quiet I receive God's Word today.
126 私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。126 All that I give is given to myself.
127 神の愛のほかに愛はない。127 There is no love but God's.
128 私が見ているこの世界には、私が望むものは何もない。128 The world I see holds nothing that I want.
129 この世界を超えたところに、私の望む世界がある。129 Beyond this world there is a world I want.
130 二つの世界を一度に見ることはできない。130 It is impossible to see two worlds.
131 真理に到達しようとして、それに失敗する者はいない。131 No one can fail who seeks to reach the truth. 
132 これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。132 I loose the world from all I thought it was.
133 私は無価値なものに価値を置かない。133 I will not value what is valueless.  
134 私が赦しをありのままに知覚できますように。134 Let me perceive forgiveness as it is.
135 自分が防衛するなら、私は攻撃される。135 If I defend myself I am attacked.  
136 病気は真理に対する防衛である。136 Sickness is a defense against the truth.
137 私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない。137 When I am healed I am not healed alone.  
138 天国は私が下すべき決断である。138 Heaven is the decision I must make.
139 私は自分自身に贖罪を受け入れる。139 I will accept Atonement for myself.
140 救済だけが治癒をもたらすものと言える。140Only salvation can be said to cure.

レッスン150-レッスン139、140の復習

2017-09-23

終わりとはじまりの、秋分

気づけば今週はじめての日記更新。秋分の日ともなると随分涼しく秋が深まった感がある。

政治では衆議院議員の解散が決まり、一気に選挙モードとなった。芸能界では、安室奈美恵さんの電撃引退発表に日本中が衝撃を受けた。

安室奈美恵さん、私なんかからみると、下の世代で10代で世を席巻して「カッコいい女のコ」の代表みたいなイメージのままだった。ほんとうにいつ見てもプロフェッショナルで美しい。

その彼女ももう40歳になるのか(そりゃ、こっちも歳とるわ~)、またひとつある時代が終わった…と感じた。

一方で、元smapのメンバーが新しいファンサイトを立ち上げたというニュースもあった。

「新しい地図」というそのファンサイトの動画を見て、とっても素敵だなと思った。だれが作ったんだろう、動画から空気と風のここちよさと広がりを感じた。未来もあえてポジティブにしなくても大丈夫だ、つながっている、と思えた。そして、ふと『奇跡講座』もまた「新しい地図」と言えるかもしれない、と思った。

私自身は、ある少し緊張する仕事の準備と当日で、疲れが出てへたっていた。たいしたことはしていない。だけど、あがり症と過緊張体質で、知らず知らずに身体に力が入ってしまうから疲れてしまう。

その頑張っている最中はアドレナリンやノルアドレナリンが出ていていわゆる戦闘モードになっているけど、仕事がひと段落すると、反動からか動けなくなってしまうのだ。今回は軽い膀胱炎もあった。

40代以降のこの体力の乏しさは、フリーランスでは致命的弱点だ。ここで無理をするとこじらして、回復までにまたえらい時間がかかる。何度も経験して自分のパターンがわかった。

まぁ、体質だ。というより、心の質といった方が正しいか…。

ワークをやりながら、「この過緊張の正体は恐れとその防衛反応で、それこそが私がこれから赦すべきテーマなんだな」と感じていた。心の隅にある「人が怖い」とも関係するかもしれない。

バイト探しは、体力に自信が持てないこともあってしばらく中断かな。気になるのがあるのだけど、応募するパワーがない。働ける自信もない。

レッスン150-レッスン139、140の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン150の2つの復習

L139)私は自分自身に贖罪を受け入れる。

L140)救済だけが治癒をもたらすと言える。

ワークをして

このワークしたのは、9月18日と21日。

ワークをする際、ノートにその日の主題概念を書き移すが、「あがなう」という字がうろ覚えで書けなくて、ネットで調べた。

贖う。

貝へんに「士」と「買う」みたいな字を書く。

どんな成りたちかと思ったら、

「『眚(せい・あやまち・わざわい)』の省略形と『買』から成り、わざわいを貝でもって救うことで、贖罪の意味を持つ。」とあった。

「贖罪」の意味は、

1.金品を出したり、善行を積んだりして、犯した罪をつぐなうこと。また、刑罰を免れること。罪滅ぼし。

2.キリスト教で、人々の罪をあがない、人類を救うために、キリストが十字架にかかったとする教義。和解。

『奇跡講座』はキリストの声による、聖書の修正だということだから、この2の意味の意味の修正ということになる。

そして、正しい意味はレッスン139本文にある。

贖罪が治癒するのはこの奇妙な考えである。すなわち、自分自身を疑い、自分が本当は何なのかについて確信を失うことが可能だという考えである。」(L139-6-1)

つまり、罪と思ってきたことはすべて誤解であり、自分自身がだれなのか―今も神に創造されたままの私であり神の子である―について確信を持つこと。

これが贖罪を受け入れるということだ。文字どおりの「罪滅ぼし」。

私たちがワークでやっているのは、様々なかたちでの罪滅ぼしの練習だ。

そして、レッスン140の「救済だけが治癒をもたらすと言える。

私自身も40代以降身体の不具合がちょこちょこ出て50代では病気が発覚し、「歳のせい」だと思っていたけど、真の原因は「罪悪感」ということになる。

前にも引用したかもしれないけれど、

罪悪感がないところで病気が生じることはありえない。病気とは罪悪感のもう一つの形態にほかならないからである。病人を癒すことは治癒ではないので、贖罪は病人を癒さない。業気を可能にしている罪悪感を取り去るだけである。そしてそれがまさしく治癒である。」(L140-4-4,5,6)

というのが、病気とその治癒の本質を表していると思う。

一つの幻想を別の幻想に変えるのではなく、その夢から覚めるのだ。思っていても、幻想のなかにいてそこでの幸せや成功を夢見ている私にはむずかしいけど。

ワークをして感じたのは、今回の復習の主題と直接関係するわけではないのかもしれないけれど、

「『頑張らなくては幸せになれない』というこの世の一般的な考え方はまちがいだ。だれでも、どんな時でも幸せであっていい。それが真のあり方だ。」ということ。

今から思うと、本当かな、とも思えるが。

アファメーション

だれかがわるいわけじゃ、ない。みんな幸せであっていい。

レッスン149-レッスン137、138の復習

2017-09-17

付いていけないながら、Webサイト講習、楽しい

自分の求人プロジェクトはしばし休止して、フリーランスの新たにいただいた仕事をしている。フリーランスの仕事が安定的にあって成り立てば、それは最もいいことなんだろうけど、それはむずかしそうだなぁと思っている。だけど、バイトとの両立にも自信がない。もうしばらくは様子見かな。

昨日と今日は一日Webサイト関連の講習だった。昨日がサイト管理ソフトDreamweaverで、今日がサイトを作るルールCSSの講習。

受講生一人ひとりにパソコン席が与えられ、リーダーの先生が操作するのを見ながら各自操作するのだが、おばちゃんでトロくさい私は、気づくと付いていけなくなってしまう。アシスタントの先生に何度もフォローしてもらった。

同じような講習に何年も通っているから、いいかげん一人でホームページが作れるようになってもよさそうなものだけど、なかなかむずかしい。

でも飽きずに何度も通っていて、ゆる~くでもわかっていくと楽しい。未経験でもOKというようなWebデザイナーのアシスタントみたいなバイトがあったら、やってみたい!と思うけど、アラ還の私ではやっぱり引かれてしまうかな。

レッスン149-レッスン137、138の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン149の2つの復習

L137)私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない。

L138)天国は私が下すべき決断である。

ワークをして

9月13日と15日にこのワークをした。最近、ワーク自体があまり進んでいない。

復習Ⅳの序に書かれている「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を、受け取りなさい」という、その贈り物はよくわからなかった。

瞑想用の幻想的な音楽を聴きながらワークをして、気分は爽やか。とても神聖で心地よい気分になった。

そして、すべて解決されている…と感じた。どういうふうにかはわからないけれど。

アファメーション

私は天国を選択し、天国に欠乏はない。

レッスン148-レッスン135、136の復習

2017-09-13

1つめの求人、落ちた

9月10日のダイアリーに応募したと書いた「在宅ワーク」の仕事は、面接までたどりつくことなく、あえなく落ちてしまった。

在宅で出来高制の単価が安い内職的仕事。自宅から歩いて10分位のところにある小さな会社。ネットから名前、住所、年齢で申込んだ。

「慎重に協議いたしましたが、誠に残念ながら、
今回は採用を見送らせていただくことになりました。
ご希望に添えず恐縮ですが、なにとぞご了承くださいますよう
お願い申し上げます。」

4日後に来たメールにはこう書いてあった。「慎重に協議」といっても、名前と住所と年齢だけでの申込み。やはり50代という年齢で、会うに及ばずとなったのかな。

ここ10年位、フリーランスで活動していて会社自体が敷居が高い私にとって、最も低い「敷居」だと思ったけど、それすら超えられなかった…

まあ、会ってから断られるより、楽といえば楽だ。

一方で、フリーランスの仕事のほうで、ある会社から「相談したいことがある」という依頼メールが来た。たった一回の相談で生計が成り立つものではないけれど、ありがたい。下請け、孫請けで仕事をすることが主な私にとっては、直接会社からの依頼はレアケースだ。

ただ、その「相談」内容は私がとくに強い分野ではないので、約束日時までに勉強が必要。「専門ではないですが」と断りを入れることもできたけど、そうはしない。

来るものは拒まず。受ける。

レッスン148-レッスン135、136の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン148の2つの復習

L135)自分を防衛するなら、私は攻撃される。

L136)病気は真理に対抗する防衛である。

ワークをして

9月11日、12日にした。復習課題の本文を読んでみると、改めて、すごいことが書いてあるな~と思った。特に今の私のアンテナに引っかかったのは、レッスン135。

未来の計画、過去のふりかえり、現在を整えようとすること、これらすべてを防衛だと指摘しているからだ。

癒された心は計画を立てない。自分のものではない叡智に耳を傾け、そこから受け取る計画を実行する。」(L135-11-1,2)

現在の信頼だけを防衛とし、それに未来の方向を決めさせなさい。」(L135-19-2)

今後の生活費をどうしよう、貯金を食いつぶしている、このままではいられない、と求人サイトを見て、世に溢れる、だけど私は求められていない求人情報を前に「とにかく何とかしなくっちゃ」と気が動転していた。

いったん不安のスイッチが入ると、パニックになり考えがまとめられなくなってしまう。そもそもどうしたくて、どういう仕事ならば私でも先方に受け入れられるか、どういう働き方だったら続けられそうか、という前提さえ、落ち着いて考えられなくなっていた。

しかし、レッスン135の言うとおり「現在の信頼だけを防衛とし、それに未来の方向を決めてもらう」姿勢を選ぶべきなんだよなと、ワークをして少しだけど、我に返った。

「何らか計画を立てて、ちゃんと対処しなきゃ」と思っていたけれど、落ち着いて聖霊に委ね、その導きを待てばいいのかと思えてくる。

ちょうど在宅ワークの求人に申し込んだその日に、フリーランスの方の「相談依頼」が入った。それは聖霊さんが与えてくださった仕事なのか?

そう考えるのは調子がよすぎるか。

最近ひとり暮らしの人の「貧乏・節約ブログ」をよく見ている。それが、中高年以上のシングル女性だとよけいに親近感がわく。みんな、よく頑張っているな~、と思う。私は、甘々だ。

昨日の夜のワークでは、終わりに

「自信をもて」と感じた。

その自信は、これまで細々とだけれどACIMを続けてきたことと、特別な専門分野があるわけではない私が経営がらみの仕事にフリーランスでずっと関わってきたこと、その両方に対する自信を含んでいるようだった。

そう、私に必要なのは、「自信」なんだ。そして、本物の自信は、自分を導く聖霊への信頼、なんだと思う。

アファメーション

自分を邪魔をしているのは自分だ。本当の自分に委ねよう。

レッスン147-レッスン133、134の復習

2017-09-11

レッスン147-レッスン133、134の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン147の2つの復習

L133)私は無価値なものに価値を置かない。

L134)私が赦しをありのままに知覚できますように。

 

ワークをするにあたって改めて、該当する復習の本文を読むとむずかしい。そして意味深い。。とくにレッスン133に反応した。

無価値なものに価値を置かない。

私たちは肉体とその寿命を持ってこの幻想の世に生きていて(と思っている)、その維持のために必要なことはやっぱり「価値がある」と思うから。たとえばACIMは「食べ物」まで無価値だから手放せと言っているわけではないだろう。食べ物が必要なら、それを得るためのおカネや仕事も必要…となる。

それらを幻想だと見抜き、ただ必要だけ満たし、そこに頓着しないこと。ACIMが言っているのはそういうことなんだろうと思うけど、ワークブックの言葉をどの程度「文字どおり」に受け止めたらいいのかわからない。

この世の永続しないものすべてを「無価値」だと思うと、経営支援がらみの仕事なんて、その幻想世界でいかに勝つかみたいなゲームに思えてきて、心はどんどん遠ざかるばかりだ。

いや、もしかしたら、私の解釈がまちがっているのかな。私の仕事に対する関わり方や思いが変わったら、それは価値あることに変えることができるのだろうか。

自我(エゴ)のゴールは「探せ、しかし見つけるな」だから、この世のどんな成功や栄誉を追求しようとしても、決して「満足」という知覚で終えられることはない。そういうものだ。

自我のゴールには、求めた結果が得られないだけれなく、傷みが伴う。それを追求者は自我の性質ではなく「自分がだめだから」と自分の罪と見なす。

そうではなく、自我のゴールを実在のものと勘ちがいして求めたところにまちがいがあるのだけど、まちがいとは捉えず罪と捉え、自己処罰の思いが残る。自我のワナだ。この世の人生という道のりは、頑張れば頑張るほど自我のワナに落ちるようにできている。

ワークをして

8日と10日にレッスン147をやった。ここ最近おカネの不安から求人サイトを見て、そこから「世間」を覗き見ていた。

ワークをして浮かび上がったのは、私が仕事に応募すること自体にすごく強い恐怖があるということ。それが何に対する恐怖なのかと感じてみたら、

・もうその仕事の募集が終わってしまっていること

・年齢が高いこと他で会う前に落とされてしまうこと

・履歴書を書くこと(過去の自分に直面)

・面接で人と会うこと

・落とさせること

・決まったとして、仕事や人になじめず嫌な思いをするリスク

・自分の貴重な時間を取られてしまう、その割に大したおカネにならないリスク

などなど諸々あった。が、その奥に根幹となる「自分のエゴが傷つくのが怖い」があるのがわかった。エゴはプライドと読みかえることもできる。

これこそ、私が動けていない元凶であり、私がいま赦すべきことなんだとわかった。

おカネの心配、仕事の応募に対する不安…。もう使えるおカネない、仕事探さなきゃ。これできる?これはどう?…でも応募するのも怖い。アクセルとブレーキを同時に押す→固まる。。。

そうして気ばかり急いて目の血管を切って、文字どおりの「血まなこ」になっていた。

赦すということは、存在しないことを認め手放すことなんだよね。渦中にいる時にはすっかり忘れてしまう。

赦しは、この世の幻想性の中で真理を象徴する唯一のものである。」(L134より)

赦しさえすれば、そして聖霊に委ねさえすれば、道は開かれる。そう思ったら、少し心安らかになった。

アファメーション

思い出したら、そこで赦そう

レッスン146-レッスン131、132の復習

2017-09-08

「戦闘モード」で赤目に!?

おととい夜、歯磨きの際鏡を見たら、白目が真っ赤。充血とかではないレベル。ネットで見たら「結膜下出血」というらしい。

昨日会った人には「私もなったことある。お医者さん行ったら、老化現象だって言われた」と。動脈硬化や高血圧、糖尿病などが隠れている場合もあるとか。

ここ数日、自分の中では、新たに収入源を見つけねば…と頭に気が上り「戦闘モード」になっていたから、血圧が高くなっていて、ブチっと眼の血管が切れたとしても不思議はない。

バイト探し→面接を急ごうと思っていたけれど、この赤目は怖い。第一印象が大事な面接では避けるべきだろう。具体的に動くのは来週か。

困ったと思う一方、ほっとしている自分もいる。見栄えが良くない。早めに治したい。

そもそも戦えるスペックがないのに戦闘モードとは…!疲れるだけだ。戦う対象はない、まったくACIM的ではない。

この世を作っているのは、実は自分自身だ、神の子が困るはずはないと鷹揚に日々感謝して構えていればよいのだ。

だが、そこまで身についていない。いつまで経ってもACIMビギナーだ。

レッスン146―レッスン131、132の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン146の2つの復習

L131)真理に到達しようとして、それに失敗する者はいない。

L132)これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、私は世界を解き放つ。

ワークをして

9月6日と7日にやった。朝と夜のワークはできたけれど、毎時間のワークはほとんどできていない。でも、それにこだわるとまったく前進できそうになかったので、「二回目だし、いっか」と自分に甘く、よしとした。

復習Ⅳの序に書かれている「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を、受け取りなさい」という、その「贈り物」がよくわからない。

受け取ることができているのか、いないのか…。はっきりとしたメッセージ等はわからず。

ワークをすると、上がっていたテンションが下がり穏やかな気持ちになれる。だから、本当は日中もちゃんとできればいいのだけれど、時間がなく、ざわざわしてワークに向かえない。

昨夜のワークで感じたのは、この世界自体が生け贄だということ。

何の?

私(私たち)がエゴに捧げた生け贄。エゴという偽神にささげた生け贄。

そして、私たちはその生け贄のおこぼれをいただいているというわけだ。(ほんとかな)

でも、それもまた幻。

昔ばなしで、たぬきからおまんじゅうをもらった、と思ったけれど、後で見たら枯れ葉になったいた、…みたいな。

これまで「世界」だと思ってきたものすべてから、世界を解き放つとは、自分サイドからみたら、世界的な位置づけをスルーするということだ。

楽しむのはかまわない。だけど、捉われてはいけない。

それは、たぬきの葉っぱだ。

だまされるゲームに興じることができるのは、若さのゆらぎであり、人生の午後には幻を見通すことが必要だ。

…そう感じた。(なんかえらそうに書いているけど)

私はたぬきの葉っぱをたくさん集めている(^_^;)

アファメーション

この世界は私がつくって見せているのだ。脚本を書いたのは私だ。

レッスン145-レッスン129、130の復習

2017-09-06

1%未満

預金をガンガン切り崩す生活が続いていて、自分の中のここまでというラインを超え9月に入り、いよいよどうしよう、と不安になっていた。昨夜は夜も寝つけなかった。

こうした不安は、まさにエゴからこの世に「神からの分離」恐怖を投影したもので、まさに赦すべき対象だと頭では知っていたけれど、元々テンパリやすくビビりな私は一回スイッチが入ると、上がってしまった気がなかなか下りない。何かに煽られているような気がして考えもまとまらなくなってしまう。

これまでACIMワークから学んできたつもりだったけれど、エゴが氷山だとすると、その一角にかすり傷をつけたようなものでその1%すら解体できていないのだな~と、感じた。1%に満たないとしてもしないよりはよいと思うけれど。

私が感じている不安は、まさに赦すべきものだ。

ワークをするとそのことを思い出してしばらく落ち着く。その後、また不安がよみがえり、ドキドキしてしまう。そんなことを繰り返していた。

ふと思いついたのは、ブックオフで本の買取をしてもらうこと。宅配買取価格が30%アップになっていたのを見て申し込んだ。

物がないわが家だけど、本だけはけっこうある。本当ならば、『奇跡講座』と『神の使者』シリーズだけ手元にあればいい。だけど、そこまでは手放せず今回は1箱だけ。

とにかくわずかでも換金化しようという発想か…とにかく売れるモノを…と本に目がいった。もっと考えるべきことがあると思うけど。でも、とりあえずの一歩?。。。

レッスン145―レッスン129、130の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン145の2つの復習

L129)この世界を超えたところに、私の望む世界がある。

L130)二つの世界を一度に見ることはできない。

ワークをして

ワークの内容と、自分の日常とが乖離しているな~。まぁいつものことではあるけれど。

あなたをとらわれの身としておくためにこの世界が並べ立てている卑小なものごとから自分自身の心を解き放つとき、それを入れ替わりに訪れる世界が、ここにある

虚無に価値を認めないという選択をすることで、あなたがどんな損をするのだろう」(ともにレッスン129より)

私が感じているおカネや未来への不安こそ、虚無であり私を「とらわれの身としておくためにこの世界が並べ立てている卑小なものごと」なんだろう、私にとってはそうは思えないけれど。

でも、神の世界で不安はありえないことでそれは虚無でしかない。この不安に価値を認めないことこそ、ワークで求められていることなんだな~と思う。

あなたが見ているものは、あなたの思考を反映している。

あなたが見ていると思っている一切を作り出したのは、恐れである

そう、恐れなんだ。

そしてそれは自分が肉体であること、この世界がリアルであることを前提としたものだ。

どのように重複することもない二つの世界が、両方とも一度に見えるということはありえない。…(中略)…実在か非実在か、それだけが選択できるすべてであり、それ以外に選択肢はない。」(ともにレッスン130より)

私は非実在を選んでいるのだなぁ。

今抱いている不安は、赦すべきもの。非実在、ないものであり、手放すべきもの。ただ、私の心の中にだけあるものだ。それを世界のスクリーンに映し出してみている。

だから本来ならば、不安から行動するのではなく、何かやりたくなったりインスピレーションを感じた時にそれをやるべきだ。

おカネはなく、あるのは神の豊かさなのだから。そして、豊かさは神の子である私の元にも必ず訪れているのだから。

こうしたこととともに、感じたのは、2013年からACIMワークを初め、ことに2015年、2016年は社会と関わるより内に籠ってワークをすることが重点になっていた。ACIMに沿った「本当の私」を内側に認めることに、時間を使ってきたのかもしれない。

これからは、その私をもう少し社会で鍛える、磨く時期に入ってきているのかもしれないな~と思った。

相変わらずホーリースピリットからのメッセージというのは受け取られているのかどうかわからない。

アファメーション

状況わるくない。見方によってはパーフェクト。(好きなことば、今浮かんだ)

レッスン144-レッスン127、128の復習

2017-09-04

求人サイトを覗く

9月に入ってぐっと涼しくなった。涼しいというより肌寒いくらい。

求人サイトをちらっと覗いたらいろんな形態のいろんな仕事があってぼーっとなってしまった。

50代となり体力気力に乏しく最近さらにどんくささに拍車がかかった私、しかもひとり生活が長くかなりわがままになっている私。そんな私に務まる仕事はあるだろうか。フリーランスとの仕事との兼ね合いはどうしよう、短期的に凌ぐためなのか、少しでも将来的に役立つものにするとしたら…などと考えだしたら、一歩も前に踏み出していないのに、ぐるぐるしてきた。

知らない間にひきこもりになっていて、世間自体に対する引け目がでかくなっている。この世を赦すどころか逆にリアルにしてしまっている。そういう自分になっていることに、改めて気づかされる。

対人恐怖、対世間恐怖…。表面上は何事もなくふるまっているけれど、実はそうなんだ。

ありがたいことにフリーランスの方では小さな仕事が入ったから、これをやりながら考えようと思う。

たかがバイトなのかもしれないけど、されどバイト。

自分の貴重な時間を何に費やすかは大事。だけど、人生の終わりを意識するようになり自分時間を大切に思う私と、労働者としての価値が下がり労働市場で求められない私の間には、大きなギャップがあるなぁ。

誕生日がある9月。おとめ座の時期。毎年、同じおとめ座の友だちとこの時期に会うのが恒例になっていて週末夕食をともにした。自分が思っていることを言葉して口にすると、友人のリアクションや言葉から気づくことが多い。コミュニケーションって大事だな(何をいまさら、だけど)と思う。

ひとり暮らし、フリーランスでは人と接する時間があまりにも少なく、それは私のようなわがままな内向性の者には楽なことではなるけれど、やはりよくないのかもしれないと思った。

私はきっともっと話しもっとコミュニケーションをとりたいのだ。そういう時期に来ているということかな。

レッスン144―レッスン127、128の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン144の2つの復習

L127)神の愛のほかに愛はない。

L128)私が見ているこの世界には私が望むものは何もない。

ワークをして

ワークをするにあたって、レッスン127と、128の本文を読み返したら、127はすんなり入ったけれど、128の方にはやはり抵抗感があった。

神の愛のほかに愛はない。

これを前提とすると、世の中で愛と言われているもののほとんどが愛ではないことになる。

私はいまだに「愛」がわからないけれど、暫定的に「無限に優しく」「無限に感謝に満ち」「無限に誠実な」と思ってイメージしている。

神の愛のほかに愛はない。

そして、私もその愛に含まれている。

そして、神の愛はわかち合われることで、この世で愛となるのかな~、とふと感じた。

仕事を探そうと考えてから、テンパってしまって、気持ちがざわざわしていた。ワークをすると少し落ち着く。

私が生活で直面することの次元と、ACIMのワークを行う次元というのも、けっこう遠いかな、と思う。

在宅ワークが主で会議や調査なども含む時給のよい仕事があって、昨日が説明会だった。興味はあったけれど、この世にがんがん攻めていくアグレッシブさが求められており気遅れがして、結局説明会にさえ申し込めなかった。

仕事とはこの社会の中で対象となるお客さまに何かしら価値あるものを提供する活動だ。

「私が見ているこの世界には私が望むものは何もない。」と唱えながら、仕事探しをする自分の姿は何だかシュールだ。

アファメーション

無限にやさしく、無限に感謝に満ち、無限に誠実で、無限に穏やかで、無限に豊かで。。そういうものに私はなりたい(パクリ)。

レッスン143-レッスン125、126の復習

2017-08-31

雨。ぐっと涼しくなった。ベランダから入る風は秋の風になった。昨朝のウォーキングではツクツクボウシが鳴いていた。

季節は移っていく。私が育った北陸では雪がたへんだったけど、四季があるのはいいなぁ。もっと四季を丁寧に生きたいなぁ。

私のなかの「死なない部分」

最近の私のワークでは、その日のワークのお題と一緒に自分のなかに「死なない部分」を探すのが日課になっている。

目をつぶって心を鎮め自分の中に「死なない部分」を探す。

心のなかに「ここがそれだ」というような感じがあるところを探す。

ぴったりくるような感じではないけれど、何となくここかなと感じるところが見つかる。

おそらく、そこがACIMでいう聖霊(ホーリースピリット)の住みかではないか、そしてそれが本来の自分、ではないか。聖霊、本来の自分というより、「死なない部分」という方が「これが本当の自分なんだ」とイメージしやすい。

そして、それから「死なない部分」の性質を思う。言葉では言い表すことはむずかしいけれど、おそらく神さまの性質を受け継いだところだから、無限に優しく、無限に感謝に満ちて、無限に誠実で、無限に穏やかで、無限に豊かなのではないだろうか。

そうやって、本当の自分を確認する。それから、その性質に自分を浸す。そういう風が私に向かってやってくるようにイメージする。

いつもテンパリがちでささいなことで感情もアップダウンしてしまうが、こうやって朝イメージしておくと、少し落ち着けるような気がする。

その「死なない部分」という自分の芯をどんどん育てて、どんなことにも、穏やかで優しく、誠実で感謝に満ちていられたら素晴らしいと思う。そしてかぎりない豊かさを感じていられたら幸せだ。

レッスン143-レッスン125、126の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン143の2つの復習

L125)静けさの中で、今日、私は神の言葉を受け取る。

L126)私が与えるものはすべて、私自身に与えられる。

ワークをして

一昨日と昨日、このワークをやった。とはいっても、一時間ごとのワークはできておらず、中間のワークをやったのは2、3回。

復習Ⅳを貫くテーマ「私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。」をイメージする時、気づいたらまったくその時の気がかりごとを考えていることがよくある。

仕事先へのメールの返信をどうしようかとか、打診された仕事はいつ決定するのか、納期はいつ?、バイト、良さげなのを見つけたけど、今すぐには動けない、そのうち埋まってしまうだろうか、「やる気があればどなたでも」とあったけど50代も想定されているだろうか…、面接怖い、バイトは最終的な解決策ではない、、あ゛~、いったいこの先どうやって生きていこう?…とか。ぐるぐる。

「神とともに考えている思い」では決してないことばかりだ。気づいて「もとい!」とするけど、再び気づくとまたさすらっていたりする。

これから、どう生活を支えていけばいいだろうか。そもそもあった「問題」だけど、楽観的に考えて野放しにしてきたことが8月末になって、目前に迫ってきた。

昨日の夜のワークで浮かんできたのは、日曜日に色えんぴつ画の展覧会を見に行った帰りに、一緒にお茶をした心理学のカルチャー講座仲間に見せたスケッチブックの絵だ。それは、10数年前(2003年12月だった)、私がアートセラピーの講座に参加していた時に描いたもので、今アートセラピーを学んでファシリテーターもやっている彼女の参考になるかな、と思い、持っていって見せたのだ。

まず、「不安」を表す絵を描いて、それからそれをポジティブに転換するというお題。その転換した後の絵、それに加えたメッセージが、なんとなくワーク中に浮かんだのだ。

そのメッセージは、

「自分の真の道にしたがっているとき、旅の途中で必要なものはすべて満たされる。」

どこかで見つけたメッセージかな?当時今と同様に経済的な不安を抱えていた私が、自分自身に向けて書いたものだ。

復習Ⅳのワークの序文に、「その日に復習する概念が運んでくる贈り物を、受け取りなさい。」とあるけれど、このメッセージが贈り物なのかな?

それとも、都合のいい私の思いこみか。

そうであって、いい言葉だな。

アファメーション

自分の真の道にしたがっているとき、旅の途中で必要なものはすべて満たされる。

レッスン142-レッスン123、124の復習

2017-08-30

アルバイト探そう

8月ももうすぐ終わり…

残暑はまだまだ続きそうだけど、エアコンなしでも何とか過ごせそうな位になってきた。

これまで何社かの依頼をうけてフリーランスで仕事をしてきた。ACIMワークを始めた翌年位から仕事が減ってたけれど、仕事の波が大きくワークが中断してしまうことも多かったから、これ幸い…と、時間的ゆとりを優先させ預金を切り崩しながらACIMの勉強をし幸せに生活してきた。

前にお手伝いした本の増刷印税収入などもあって働いた以上の収入があり、今年の7月位までは生活費のプールがあった。が、それがもう尽きかけている。7、8月は国民年金もスルーしてなんとかやり過ごしたけれど、さすがに明らかにまずい。

本来ならばフリーランスの仕事を積極的に復活させるべく努力すべきなのだろうが、その方向はどうもできそうにない。新たなクライアントを見つけるのは情熱と時間がいる。すぐ安定的に月々の生活を支えるレベルに達するとも思えない。生活できても、ACIMの勉強ができなくなってしまっては、それもまた求める方向性と違う。

高齢の母がひとり暮らしをする故郷に戻るべきか…などと思いが、東京に新たな根を生やしづらくしているのかもしれない。

いずれACIM関連のことで仕事ができたらいいなと思う。もしそれがかなうとしても、まだまだ先のことだろう。

じっくり自分の大事にしたいこと、優先する順番…これからの方向性を確認したい、、、秋のはじまり。

だけど生活費、、の方はじっくりではいけない。最低限生活を支えられるレベルのアルバイトかパートを探そうと思っている。10月の生活費を得るためには9月はすでに稼働していないと。焦る。でも、雇用されて働くというのが久しくて、なんだか怖い。歳だからかな、世間というものが怖く感じる。

もちろん、この状況と感情もまた赦すべきもの。ではあるが。。

レッスン142-レッスン123、124の復習

復習Ⅳを貫くテーマ

私の心の中にあるのは、私が神とともに考えている思いだけである。

レッスン142の2つの復習

L123)私は父が贈り物を与えてくれたことに感謝する。

L124)私は神とひとつであることを思い出せますように。

ワークをして

神そのものが大きな感謝そのものなんだ。神は感謝を包含しているのだと思う。

そして私たちはそこから延長された。

だから、私たちが神に感謝するということは、神と私たちがわかちあうこと、祝福することではないだろうか。

感謝によって、自分がほんとうは誰なのかを思い出すことができ、自ら鍵をかけてしまってたギフトを開くことができる。

私たちは、真の感謝によって、神とわかちあうことができる。そして、その感謝はさざめき波状的に広がり、どんどん自分と自分が見る世界のなかで大きくなっていく。

ACIMワークの最も重要な鍵は「赦すこと」だけど、もう一つの鍵は「感謝」なのだと思う。

感謝は神そのもので、私が真に感謝する時、神と神なるものをわかちあい、自分が神とひとつだと思いだせるから。

父の最もすばらしい贈り物とは、「感謝できるこの私」なのかもしれない。そして、それはすでに各々に与えられている。

ただ感謝しさえすれば、そのギフトが開かれ、人生のスクリーンに感謝できる私が投影され、感謝され感謝に満ちた世界が上映されるのかもしれない。

アファメーション

今日、感謝できることをたくさん数えよう。

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