ACIMレッスン228-神は私を咎めなかった。もはや私も咎めない。

2018-12-17

かぜひいた

かぜひいた。

先週土曜パソコン講習日。午後3時までは何ともなかったたが、3時過ぎから喉が痛くなり始め、講習が終わった5時にはしっかり風邪引きになっていた。

電車でもらったかな。空気乾燥しているし。

免疫力少しついたかと思っていたけど、そうでもなかったか。

昨日は一日中だるく、なんでか眠くて仕方がなかった。早めに寝た。

これ以上悪化させないようにしよう。

ACIMワーク228-神は私を咎めなかった。もはや私も咎めない。

『奇跡講座』は病気(と病人)には厳しい。

レッスンL136では「病気は真理に対抗する防衛である。」という主題概念を掲げ、「病気は偶発的なものではない。すべての防衛と同じように、病気も自己欺瞞のための狂気の仕組みである。」(L136-2-1,2)と説明している。

レッスンL140では、「罪悪感がないところで病気が生じることはありえない。病気とは罪悪感のもう一つの形態にほかならないからである。」(L140-4-3)と言っている。

また「病人を癒すことは治癒ではないので、贖罪は病人を癒さない。病気を可能にしている罪悪感を取り去るだけである。そしてそれがまさしく治癒である。」(L140-4-4,5,6)とも。

単なる風邪でも、「寒かったから」とか「空気が乾燥していたから」が原因ではなくて、私に罪悪感があるからなのかな。

罪悪感なら、、、やっぱりある、と思う。

昔から引きずっているものもあれば、現在進行形のものもある。他の人はみな頑張って働いているけど私は…、と思う気持ちだ。自分を咎めたくなる。

だけど、罪悪感をこじらせて(新たな)病気を作りたくはない。

自分を咎めるのは止めよう。

この世の価値観と『奇跡講座』の価値観の中で揺れている。開き直っていると思う。けど、やはり揺れている。

2018年の世相を表す漢字に「災」が選ばれた。私の場合は引っ越しの「転」かなと思っていたけど、迷走の「迷」かもしれない、と思う。

あるいは猶予の「猶」かな。

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